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軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史

軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=最終回=亜国にもいたオリメシャ

オリメシャ(ブラジルの早竹寅吉、http://blog.livedoor.jp/misemono/archives/cat_50045822.html)

 「慶応2年のパスポート」(3月31日参照、http://homepage3.nifty.com/gekka-take/KO2-saikoKamekichi.html)には《海外渡航が解禁された慶応二年以降の幕末維新期には、隅田川浪五郎一座、松井源水一座だけでなく、薩摩一座、早竹虎吉一座、鳥潟小三吉一座など、多くの旅芸人一座が海 ...

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軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第26回=ブラジル初の日本人の記録発見!

1873年5月10日付コレイオ・パウリスターノ(bndigital.bn.br)

 前節で紹介した《竹沢万次1873年説》情報を確認すべく、ブラジル国立デジタル図書館サイト(bndigital.bn.br)を検索すると、なんとコレイオ・パウリスターノ紙1873年5月10日付4面に、日本人軽業師を含むサーカス団の広告があるのを見つけた。 《初公開、大きな梯子を使った超難易度のA Escada Japoneza( ...

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軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第25回=73年渡伯の記述を発見

シルバ論文の万次を説明した箇所

 さらに竹沢家の情報をネット検索するうちに、『CIRCO-TEATRO Benjamim de Oliveira e a teatralidade Circense no Brasil』(エルミニア・シルバ著、アルタナ出版、07年)が見つかった。1870年から1910年のブラジルサーカス界がどう劇場性を獲得していったかを、ベンジ ...

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軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第24回=ラモン自殺報道の記事発見

ジアリオ・ダ・ノイテ1940年6月12日付3面

 日本移民史において万次は、南樹が1969年に『足跡』で著した内容で止まっていたが、とんでもなく高い評価がブラジル社会からされている。オリメシャ家に至っては、従来の移民史には一行も出てこない。このままではいけないと考え、「Mange」(万次)についてさらに調べた。 南樹は、息子ラモンについて《父(万次)が死んだあとラモンは一座を ...

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軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第23回=芸をする万次の貴重な写真

 「この本は見たの?」とヴェロニカさんが本棚から持ってきたのは、『O Circo no Brasil(ブラジルのサーカス)』(アントニオ・トレス、Funarte=ブラジル芸術基金刊、1998年)という分厚い本だった。 実物を初めて手にするが、サーカス関係の論文で頻繁に引用されている貴重な資料だ。ポ語、英語、スペイン語が並記されて ...

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軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第22回=ブラジルに根付いた極東起源の曲芸

まさに棒の上で曲芸をするもの。当時、最も西洋で注目された芸だ。1890年代にニューヨークで公演した両国一座のポスターから(『サ物語137頁』)

 玉置ヴェロニカさんに「万治はチャリニ・サーカス団に同行して渡伯したのではないか?」という説をぶつけると、「私は日本人サーカス団の一員として来て、ブラジルに留まったのだと思う」との南樹以来の伝統的な考えの支持者だった。「何らかのサーカス団と一緒に来て留まったことは確か。サーカス興行と同時に、絹とかの行商もしていたとの話も読んだ」 ...

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軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第21回=有名サーカス団員と子孫が結婚

竹沢万次の子孫から曲芸を習った玉置ヴェロニカさん

 2月2日午前、サンパウロ市議会にほど近いセントロの自宅で玉置ヴェロニカさんを取材した。三世で57歳、知的で明るい雰囲気。元アクロバットだけあって、どこか華がある。祖父が東京出身で1920年代に渡伯、父・玉置ジョアンが1930年にプレジデンテ・プルデンテで生まれて非日系の母と結婚したという。 本人はパウリスタ沿線ヘルクランジア生 ...

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軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第20回

自転車演技を披露していた時代の玉置ヴェロニカさん(CMCの展示より)

 「O orangontango」はオランウータンのこと。綱渡りをしたり、高い所で曲技をする様子が公演のテーマにしたと思われる。「O Encanto – delicada fantasia minica do pais das cerejeiras em flor」を直訳すれば「悦楽―桜の咲く国の身体表現の繊細なファ ...

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軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第19回=ついに万次本人の顔写真発見

CMCには「Família Mange」と大書きされた展示スペースには、万次本人と子どもたちの写真があった

 オリメシャ一族のことをネット検索している過程で、気になる名前がでてきた。オリメシャ家と並ぶ日本に血筋を持つサーカス一族として「Familia Mange」が頻繁にでてくるのをみて、「もしかして万次の子孫か!」と合点した。「万治」がなぜか「マンジェ」に変わってしまった。しかも、本人名が家族名のように扱われている。 ブラジルの場合 ...

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軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第18回=オリメシャ家の華麗な活躍

オリメシャ家族のフェイスブックに掲載されていた初代オリメシャと思われる写真

 Funarte(国立芸術基金)の機関誌『Programacao Funarte』87年4月号9頁には、多くの外国系サーカス移民の名と共にオリメシャや竹沢をあげ、《結局、世界中からここにアーチストたちは集まり、国内の動的な新正性を作り上げた。その子孫たちは、サーカス団員としてブラジル中に散らばって、子供たちに笑顔を届けている。子 ...

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