2016年
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(23)
「歩いていたら、1機の飛行機の音が聞こえた。空を見上げるとアメリカの戦闘機のB―29が飛んでいて、2つのパラシュートが投下された。突如として大きな光が見え、私はそのまま気を失ってしまった」 何年か後
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(22)
イーリャ・グランデで日本人囚人たちは原爆投下のニュースを知らされた。一九四五年八月六日付けの新聞は、太平洋戦争についての混乱したニュースを報道した。ある新聞はアメリカ政府の発表をそのまま記事にしてい
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(21)
第7章 原爆投下の知らせ 第二次大戦が激化し、ブラジルの陸軍や空軍の兵士がヨーロッパ前線に送られることになった。またブラジル政府は枢軸国に属する囚人たちをリオ州、イーリャ・グランデの島にある拘置所
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(20)
彼らに共通していたのは、後にしてきた故郷を思う気持ちだった。彼らはよく故郷の思い出を語った。 兵譽はそんな彼らの思い出話を小さな枕を頭に当てて、新聞紙のように薄っぺらなマットに横たわり、聞いていた。
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(19)
故郷に帰り、賑わっていた町並みや焼け跡の原っぱを自由に歩き回ったりする夢は1943年3月3日に崩れ去った。 その日、最高軍事裁判所は国内の安全法令を犯した犯罪者の刑罰を発表したのである。 1942年
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(18)
兵譽は杉俣政次郎が両親に宛てた手紙を読んで驚かされた。彼が悲しみのどん底にあることを知れば両親はもっと嘆き悲しむことであろうから。 手紙には次のようなことが書かれていた。 《お父さん、お母さん、お会
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(17)
書類第9号の翻訳の終わりに、署長は次のような事を報告している。 ☆ 《上述の内容に関連して、他の者以外にも次の証人の話を聞いた。サクイチ・ウチガミ、タカノブ・マツモト、アキラ・タニグチ、
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(16)
書類8を添付した後にルツガルデス・ポッジ・デ・フィゲイレード補佐官は次のようなコメントを書き記している。原文のまま引用すると、 「本件に関して、種々の調査の結果、ヘイタカ・タイラはサンパウロ州、ツパ
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(15)
そのような事を許せない日本人のグループにより「大政翼賛同志会」が作られた。これの元になった「大政翼賛会」は、近衛文麿を中心として日本に作られた左右合同の政治団体だった。 「大政翼賛同志会」はブラジル
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(14)
リストはつづき、安保三次郎、安保ハツタル並びに安保ハルの子息、32歳、既婚者、日本人、秋田県出身、耕作人、仏教徒、ペレイラ・バレット駅在住。 安保キタロ、安保サブロ並びに安保ヤスの子息、22歳、未婚