2016年
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(13)
兄さんが投獄されてからひと月たったころ、善次郎は、いつものように太陽が顔を出すずっと前に起きていた。バケツの水を半分たらいに移し、体を洗い始めた。 髪をまんべんなく濡らしてから、後ろに櫛ですいていた
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(12)
兵譽は通行許可書(枢軸国の移住者には必携だった)をもっていなかった上に、そのころ、禁止されていた日本語のパンフレットの包みを抱えていた。 通行許可書はオレンジ色の手帳で、その所有者がどこからどこへ行
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(3)
ブラジルは日本国に対しては宣戦布告をしていなかった。その日、ブラジルの新聞は大見出しで「民主のため、自由のため、正義のためブラジルは全国民の意を受けて、ドイツ、イタリアに対する戦争を容認した」と報じ
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(10)
池田アントニオ(本名・龍生)はサンパウロ州の奥地、アシス市に住んでいた。実家は大阪で狩猟用の武器製造工場をもっていたそうだが、ブラジルでは刃物製造に従事していた。たぶん、狩猟の武器との連想からか、射
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(9)
第3章 大和魂 戦争の気配がこくなると、地方での話題はもっぱら戦さに関するものになった。一九四〇年に第二次世界大戦が起こり、世界は二つに分かれた。 日本、ドイツ、イタリアによって構成されて枢軸国側
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(8)
畑仕事に明け暮れていた家とは大いに違い、ツパンの家は住家としては、申し分のないもので大変な進歩といえる。家は大きな敷地内にあり、果物の木もあり、畑を作るだけのスペースもあった。井戸からは澄んだおいし
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(6)
農園主が雇用者に対して行っている搾取はあきらかだった。彼らは自分たちの不正を隠そうとして、一九二九年にニューヨークの株市場で起きた世界大恐慌をたてにとって、安い賃金を支払いつづけていた。この世界大恐
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(5)
このようなわけで、日本人同士団結して農業組合を立ち上げる試みが行われた。成功したものもしなかったものもあるが、ともかく、今日でも新聞を広げると、当時の移住者が経験したのと同じようなことをいまだに継続
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(4)
この移民収容所は一八八七年に創設されたもので、一世紀にわたって六〇カ国余から移住者を受け入れてきた。もともと、移住者は奴隷の代わりに労働者として受け入れられていた。ところが、奴隷解放を謳った「アウレ
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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(3)
英新は六十二歳になるまで乗馬の経験があることを黙っていた。 それは、息子や孫たちとサンパウロ市からそう離れていないカブレウーバにキャンプに出かけた時のことだった。キャンプ場の管理人が一頭の馬を引いて