兄さんが投獄されてからひと月たったころ、善次郎は、いつものように太陽が顔を出すずっと前に起きていた。バケツの水を半分たらいに移し、体を洗い始めた。 髪をまんべんなく濡らしてから、後ろに櫛ですいていた。額の両側の入り込みがあり、そのうち禿げるようになるだろう。お湯を沸かそうと思ったとき、薪がないことに気づき、木を取りに外に出た。 ...
続きを読む »2016年
日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(12)
兵譽は通行許可書(枢軸国の移住者には必携だった)をもっていなかった上に、そのころ、禁止されていた日本語のパンフレットの包みを抱えていた。 通行許可書はオレンジ色の手帳で、その所有者がどこからどこへ行くのかを書き込むスペースがあった。手帳の裏表紙には通行を許可する行動範囲が書かれている。(1)本手帳の所持者は一定の区間、並びに期 ...
続きを読む »日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(3)
ブラジルは日本国に対しては宣戦布告をしていなかった。その日、ブラジルの新聞は大見出しで「民主のため、自由のため、正義のためブラジルは全国民の意を受けて、ドイツ、イタリアに対する戦争を容認した」と報じた。 このようにして、正式にドイツとイタリアはゼツリオ政権の敵国になってしまったのだが、この二つの国からの移住者やその子弟は、南部 ...
続きを読む »日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(10)
池田アントニオ(本名・龍生)はサンパウロ州の奥地、アシス市に住んでいた。実家は大阪で狩猟用の武器製造工場をもっていたそうだが、ブラジルでは刃物製造に従事していた。たぶん、狩猟の武器との連想からか、射撃手としての名声が広まったものであろう。 彼は武器には強い関心を抱いていて、家の地下室には多くの銃が、まるで戦争博物館のようにあっ ...
続きを読む »日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(9)
第3章 大和魂 戦争の気配がこくなると、地方での話題はもっぱら戦さに関するものになった。一九四〇年に第二次世界大戦が起こり、世界は二つに分かれた。 日本、ドイツ、イタリアによって構成されて枢軸国側に対するアメリカを中心に据えた連合国側である。ブラジル在住の日本人は集団で住んだり、集会を開いたり、日本語で話したり、あるいは政治的 ...
続きを読む »日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(8)
畑仕事に明け暮れていた家とは大いに違い、ツパンの家は住家としては、申し分のないもので大変な進歩といえる。家は大きな敷地内にあり、果物の木もあり、畑を作るだけのスペースもあった。井戸からは澄んだおいしい水をくみ出すこともできた。便所は外にあったが、下水道に繋がっていた。竈(かまど)は石造りで薪をくべて煮炊きができるようになってい ...
続きを読む »日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(6)
農園主が雇用者に対して行っている搾取はあきらかだった。彼らは自分たちの不正を隠そうとして、一九二九年にニューヨークの株市場で起きた世界大恐慌をたてにとって、安い賃金を支払いつづけていた。この世界大恐慌は主要銀行を倒産に追いこみ、アメリアの住宅システムの借財は膨れ上がる一方となり、富める国ほど生産に大きな支障をきたし、紙幣はたん ...
続きを読む »日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(5)
このようなわけで、日本人同士団結して農業組合を立ち上げる試みが行われた。成功したものもしなかったものもあるが、ともかく、今日でも新聞を広げると、当時の移住者が経験したのと同じようなことをいまだに継続されて、昔の「タコ部屋」の奴隷同様の農村労働者がおり、労働省の係員や連邦警官に救い出されたケースなどを目にする。 二〇一一年六月半 ...
続きを読む »日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(4)
この移民収容所は一八八七年に創設されたもので、一世紀にわたって六〇カ国余から移住者を受け入れてきた。もともと、移住者は奴隷の代わりに労働者として受け入れられていた。ところが、奴隷解放を謳った「アウレア法」が施行されると、奴隷は使用人になり、農場主は給金を支払わなければいけなくなった。その対策として移住受け入れが盛んになるのだが ...
続きを読む »日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(3)
英新は六十二歳になるまで乗馬の経験があることを黙っていた。 それは、息子や孫たちとサンパウロ市からそう離れていないカブレウーバにキャンプに出かけた時のことだった。キャンプ場の管理人が一頭の馬を引いてきて、馬に乗りたい者がいるかと聞いてきた。英新は心が躍る思いがした。その日一日、馬に乗り、孫たちが馬に慣れてくれることを願っていっ ...
続きを読む »