2016年
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JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第2回=自分のことはさておいた日々
1995年に開発青年としてサンパウロのブラジル日本交流協会へ団体事務職で派遣され、ブラジルの広い胸に押し返されながら悪戦苦闘する日本人研修生とともに泣いたり笑ったり、様々な生きざまを見守った3年間は
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(10)
今日、クリチーバ市の人口は約200万である。日系は2~3万、と地元の人々は推定している。 しかし日系は終戦までは、ごく少なかった。前出の東野光信さんは「100家族は居なかったでしょう」と言う。
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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(4)=新しい「故郷巡り」始まる
「ゲートボールが大好き。この間、ゴヤスの大会で1位になったのよ」と元気ハツラツの武内マリエさんに年を聞くと、「92歳」とのこと。驚くほど生命力にあふれている。パラナ州に近いサンパウロ州最西部オーリー
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(9)
筆者は、終戦直後の邦人社会の騒乱を長く取材している。感ずることは多々あるが、特に、その渦中で起きた襲撃事件には、心を捉われる。被害者、加害者のことが屡々、脳裏に浮かぶ。被害者には無論同情しているが、
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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(3)=町誕生で続々とサンパウロ州から
9月30日(金)午後、故郷巡り一行は現地が誇る巨大企業ザエリ(Zaeli Alimentos LTDA)の工場を見学。夜はウマラマ文化体育協会で交流会が行われ、現地からは約30人が参加した。 町の
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(8)
東野家の受難 話の時期は、再び1942年に戻るが、ケブラケブラは、実はパラナグア湾の南岸地域より半年前、クリチーバの市内で起きていた。 AYUMIによると、1942年3月19日、ほぼ1万の群衆が、
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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(2)=産業開発青年隊のふるさと
ウマラマ市から70キロほどのセーラ・ドス・ドウラードスには、今年60周年を祝う「南米産業開発青年隊」の訓練所があった。彼らにとってはまさに「ふるさと」と言えるゆかりの地だ。これは、農家の次男、三男問
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(7)
既述したが、筆者は2014年、アントニーナを訪れた。この折も、山下亮さんに無理を言って、車で連れて行って貰った。 途中、海岸山脈を横切った。山峡の高速道路を走っている時、上を見上げると、海抜千数百
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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(1)=ゆかりの深いウマラマ
第46回県連ふるさと巡り一行119人は9月29日から10月5日にかけて、北西パラナのウムアラマ、グアイーラ、カスカベルの日系団体と交流し、最後にジュレマ温泉を訪れた。南麻州との州境、パラグアイとの国
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(6)
被害者の直話 アントニーナと同時にパラナグアでもケブラケブラが起きたが、筆者はその被害者の一人から、直接、話を聞くことができた。2014年のことである。 クリチーバ市内に、東野一子という老婦人が住