2016年
-
JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第1回=役に立った危機管理の経験
JICA日系社会ボランティアが今年、30周年を迎えたのを記念して、現役と経験者による20人ほどのリレーエッセイを、毎週1回をめどに掲載することになった。青年とシニアそれぞれから、ボランティア時に最も
-
『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(5)
1939年、欧州で大戦が勃発。後に第二次世界大戦と命名。 1941年12月、日本が米英に開戦。翌1月末、ブラジル、日本と国交を断絶。 何の責任もなかったが、在伯日本人に対する迫害が、各地で始まっ
-
『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(4)
二人妻 長谷川武は人格者で、後に邦人社会のため献身的に尽くした──と資料類には記されている。 以下、前出AYUMIよるが。── 長谷川がサンタ・オリンピアに居た時、高田はまこという女性がやって来
-
『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(3)
マレッタで仲間の4人が去った後、残りの長谷 川武と堀部栄吉は、少し北のカショエイラ川の近くに移動した。そこは地主によると「マレッタの心配はない」ということであった。 しかし二人だけでは、どうにもな
-
『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(2)
アントニーナに未だ活気があった1907年、―日本人が訪れた。名は内田定槌(さだつち)。 リオ州ペトロポリス駐在の日本公使であった。 ポ語版のパラナ州日系社会史『AYUMI(歩み)』によれば、内田
-
『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(1)
前回の『北パラナの白い雲』を書いた折、筆者は取材のため、現地を10回近く訪れた。2013~15年のことであるが、その間、何度か南パラナにも足をのばした。 ただ、この南パラナ行は、事情があって、クリ
-
静岡県=外国人子ども支援員養成講座=来日児童生徒をどう受け止めるか=(7、終わり)=教育の枠組みを練り直す時期では
4年間のエクアドル生活から帰国すると、日本の学校にはしきたりやルールが無数にあった。 娘たちは疑問を持ちながらも必死に順応しようとしたが、家庭ではその疑問が怒りや反抗や疲労となって表れた。学校では
-
静岡県=外国人子ども支援員養成講座=来日児童生徒をどう受け止めるか=(6)=多様なあり方を認める社会に
一言で「支援が必要」と言っても、来日したばかりの子供だけを指すのではない。日本で生まれ育って日常会話に支障がなくても、学年相当の言語能力が不足し、支援が必要な場合もある。 その場合、日本語能力の不
-
静岡県=外国人子ども支援員養成講座=来日児童生徒をどう受け止めるか=(5)=頼もしいボランティアの広がり
支援未経験で受講した外国人のある参加者は、「実際にやってみないとわからないけど、自分の言葉を使って助けてあげられたらうれしい」と感想を話した。 すでに支援員として活動している参加者からは「とても参
-
静岡県=外国人子ども支援員養成講座=来日児童生徒をどう受け止めるか=(4)=同じ市でも部署で異なる認識
そもそも外国籍・要日本語支援の児童生徒について担当している部署が、市町の職員でも認識があいまいだ。 学校関係はたいてい「学校教育課」や「子ども育成課」のような課が対応するのだが、外国籍や日本語支援