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2016年

日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(33)

 一人の二世(日本人の子弟)が彼とすれ違い、行儀よくお辞儀をした。彼もそれに応えてちょっと頭を下げた。若い二世は兵役中のようで、士官候補生の軍服を着ていた。 その姿を見て、兵譽は過去の恨みなど払拭して、新しい時代を生きている人々を目の当たりにして、感慨深かった。リオでは日本人の植民地もなく、そういった時代の移り変わりも感じること ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(32)

 パウリスタ鉄道の列車はリオからの電車サンタクルス号のように快適な旅が楽しめる代物ではなかった。一等車だけが快適につくられていたが、一両か多くても2両の車両しかなかった。ほとんどの車両は木製で、道中あまり揺れなくても、自然と首や肩が痛くなるのだった。 兵譽はジュリオ・プレステス駅まで歩いて行くことにした。映画館、レストラン、床屋 ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(31)

 一九五五年三月三日、雨の夕ぐれ、近所の子どもジョズエーがリーデル道場に駆け込んできて、「奥さんの具合が悪い」と先生に伝えた。家に駆けこんだ兵譽は死んでいる妻を見ることになった。自殺だった。 兵譽が午後から仕事に出かけた後、子どもを寝かせ、台所の床に座り、アルコールを自分の体や服にかけ、マッチを擦ったのだ。隣近所の人は、叫び声も ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(30)

 兵譽(へいたか)の新しい住家となったドゥッケ・デ・カシアスの家を、エレオマルは退職金で買ったのだ。兵譽はこの友人の家に温かく迎え入れられた。それは何故このように温かく自分の世話するのかと不思議に思えるほどであった。 三十八歳になっていた移民の兵譽は、早く食い扶持を探さなければという義務感を感じるようになった。物書きになる夢を捨 ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(29)

 マツモトは長年にわたり苦しんでいたのだが、末娘が長患いの後に死んでからは、働かなくなり、エスタソン広場の店に借金を重ねていた。借金を払うことを執拗に迫られ、また、脅迫もされ、マツモトは借金を取立てる店主とそれを止めようとした店に居合わせた二人の客を殺してしまったのだ。 彼は逮捕され、拷問を受け、もよりの警察署の小さな牢屋に投げ ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(28)

平英新

 ジーン・ルッセルやリタ・へイワースといった上品な女優に魅せられていた。その頃の女性はハリウッド女優の髪型に憧れ、同じような髪型をしたがっていたのを知り、英新は理容師の勉強を始めることを思いついたのだ。 リベルダーデ区の理容師協会に申し込み、ウェーラ美容製品社の講座も受け、その後、すぐ彼は美容師として働き始め、ベレン区のカツンビ ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(27)

 組合の墓地は十字架で埋まり、手狭になったほどである。居城半藏の両親を含めた小数の者だけが生き残り、そこで築きあげた少しばかりの財産を投げ出して、移民収容所に助けを求めたのだった。地獄から抜け出した家族は浮浪者のような格好でやっとのことで移民収容所にたどり着いたという。 居城半藏の一家はバストスに送られた。バストスでは兵譽と半藏 ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(26)

第8章  恩赦 戦争が幕を閉じる前後から、ブラジルでは臣道連盟が活動しはじめた。臣道連盟は1945年に創立された組織で、一世(日本生まれの日本人)やその子孫でありながら、日本帝国への忠誠心を欠いたりした者に対して、暴力行為を実施していた。 戦争が終わると同時に、日本の敗戦を認める人々「負け組」と、「勝ち組」の強硬派は抗争をはじめ ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(25)

 (フォーリャ紙記事のトルーマン大統領のコメントの続き)原子力を公開することは人類の新しい時代への理解へと繋がる。原子力は、将来において、石炭、石油や水力発電などを補強するものとなるであろうが、現段階では商品化まではこぎつけていない。その段階に達するまではまだ長い時間を必要としている。 我が国の科学者、政府機関などの規律には、科 ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(24)

ミズーリ艦上の終戦署名。署名する梅津美治郎陸軍大将(See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons)

 (フォーリャ紙記事のトルーマン大統領のコメントの続き)1939年以前、科学者は原子力を隔離することは理論的には可能だとの結論に達していた。 しかし、実際には誰もどのような方法を取ればいいのかを知らなかった。1942年に、ドイツが世界を手中に収めるためにその他の武器の開発に原子力の威力を利用することを考え、その研究に没頭している ...

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