《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(11)=「日本人死ね! 国に帰れ」
田辺さんが、光日本語教室を始めたきっかけは、パラナやサンパウロから来た若い日系人が、子供に日本語を教えたいと言い出し、「お前は一世だから日本語教えてくれ」と頼んできたことだ。 「ボクは6歳で日本か
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(10)=砂金掘り闊歩する無法地帯
地元の田辺俊介さん(69、鹿児島県)の指に、フリーメイソンの紋章が入った太い金の指輪があるのに気付いて、由来を尋ねた。 「ボクもメイソンに入っているんですよ。しかもこの指輪は、僕がガリンポ(砂金掘
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(9)=かつての栄光を胸に抱いて
もとをたどれば、鉄道建設のアイデアはボリビア側が希望したものだった。第1次ゴム景気(1879~1912年)の時、最大の生産地ボリビアは輸出先である欧米まで搬出ルートを探していた。1800年代、産業革
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(8)=枕木一本に一死体、死の鉄道
ポルト・ヴェーリョ地方紙「ジェンチ・デ・オピニオン」電子版、07年10月12日付に《カンデラリア、忘れられた英雄たちの墓場》との見出しの記事を見つけた。 いわく《セントロから2キロにある神聖な歴史
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(7)=笠戸丸の頃から日本人がいた町
サントアントニオ発電所のガイド、マウロさんから「ここには昔から滝があったから、その地形をいかしてダムを作った。滝があったから、昔はここより上には船が上がれなかった。だから、ここから8キロ下流を起点に
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(6)=巨大なサントアントニオ発電所
3月17日午後、サントアントニオ(SA)発電所を見学した。その際、ガイドのマウロ・バスコンセーロさんは「ここがアマゾンで最初のダム。4500万人分の電力、3568メガワッツの発電能力がある。タービン
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(5)=死んだ母の胸元で泣く赤子
二日目の3月18日朝、南緯9度、ほぼ赤道直下らしいジリジリと焼けるような日差しになった。慰霊法要をするため、一行はバスで移住地の墓地へ向かった。 幹線道路から移住地の道にはいると、すぐに泥道に。田
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(4)=「出られない人が残った」
植民の実施要綱には「移民の義務」という項目があり、《入植と同時に仮所有権を与えるが、決定的な所有権は10年以内に5千本のゴム樹を植えつけてから与える》(『グヮポレ移民50年史』23頁)とある。 ゴ
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(3)=マラリアに五十数回罹る
17日の夕食会に駆け付けてくれた地元の田辺俊介さん(69、鹿児島県)は、ロンドニア日伯文化協会の発起人の一人。6歳で家族と入植し、ずっとポルト・ヴェーリョに住む。29家族のうち、現地残留組は田辺家、
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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(2)=29家族中、4家族のみ残留
ポルト・ヴェーリョのセントロから、ボリビアとの国境の町アブナンまでは、直線距離でわずか190キロ。ところが首都ブラジリアまでは1900キロ、サンパウロ市にいたっては2465キロもある。アマゾン河口の