『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(10)
落ち着けぬ静けさ 筆者が、前記のレジストロ植民地をひと回りした時の印象は(静かだ‥‥)であった。この植民地は分割して造られ、1部、2部、3部、4部、5部と名付けられた。1部は市街地化していて、む
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(9)
何故、衰退したか? レジストロの紅茶は、1982年から、空前の好況期に入った。国際的に価格が高騰、折からのブラジル政府の──すべての輸出に対する──奨励策も重なって、業者の収益率は大きく膨張した。
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(8)
紅茶、誰が産業に 育て上げたか(Ⅱ) レジストロの紅茶の産業化には、なお多くの歴史があった。 それは、前出のシャー・ツピー組合の発足から話を進めると、整理しやすい。 発足は1937年であるが
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(7)
紅茶、誰が産業に 育てあげたか(Ⅰ) 前項の前半に記した話からは、レジストロの紅茶=岡本寅蔵というイメージが鮮明に浮かび上がってくる。その産業化は岡本の功によって成った、というイメージである。
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(6)
プラント・ハンター その「産業」に育ったのが、紅茶である。これについては入植者の奈良県人、岡本寅蔵の名が伝説化している。 日本で製茶職人であった岡本は、1920年代、緑茶の生産を志した。が、種子す
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(5)
泥沼に足を… 筆者は、桂植民跡からレジストロへ引き返した翌日、市街地のセントロの近くにある公園に出かけた。東側にリベイラ河が流れており、公園には青柳郁太郎の胸像を浮彫りにした記念碑が立っていた。彼は
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(4)
桂植民地(Ⅲ) 二艘のボートは、河面を切る様に走って行く。 やがて岸の疎林の中に、小屋が一つ見えた。福澤さんによると、入植者がピンガを造っていた処らしい。とすると、陸地はすでに桂植民地の跡なのであ
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(3)
桂植民地(Ⅱ) 周知のことであるが、日本の対ブラジル移植民事業は1908(明41)年、高知県人水野龍によって始まった。しかし、最初の笠戸丸移民は失敗した。原因は多々あったが、その一つが「実
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(2)=桂植民地(Ⅰ)
リベイラ流域の邦人の開発前線には、それを構成する植民地と集団地が数カ所ずつ在った。前者は東京に本社を置く移植民会社が造った。後者は自然に生まれた。 前者の第一号が、イグアッペの桂植民地である。
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(1)=お婆ちゃんと強盗
サンパウロ州の南部、大西洋岸近くにリベイラという大河が流れている。パラナ州に源を発し州境を越え、蛇行を続けながらも進路をほぼ北東にとり、セッテ・バーラスに至って向きを東南に変え、レジストロを経てイグ