森の中の白骨死体(Ⅰ) 2005年の5月のことである。レジストロの北隣りのムニシピオ、セッテ・バーラスの警察署に、異様な届け出があった。町の北方、森の中の日本人の家で、白骨死体が見つかった──と。 そこ ...
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(10)
落ち着けぬ静けさ 筆者が、前記のレジストロ植民地をひと回りした時の印象は(静かだ‥‥)であった。この植民地は分割して造られ、1部、2部、3部、4部、5部と名付けられた。1部は市街地化していて、むしろ騒々しかった。 が、他の部は静かで、奥に行くほどそうであった。農業地帯だから、それは自然であり、また筆者は静けさは好きなのだ ...
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何故、衰退したか? レジストロの紅茶は、1982年から、空前の好況期に入った。国際的に価格が高騰、折からのブラジル政府の──すべての輸出に対する──奨励策も重なって、業者の収益率は大きく膨張した。 当時、山本スタンダードの社員であった金子国栄氏(前出)によると「山本さんは、紅茶に不況は、もう来ないのではないか‥‥とすら言っ ...
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紅茶、誰が産業に 育て上げたか(Ⅱ) レジストロの紅茶の産業化には、なお多くの歴史があった。 それは、前出のシャー・ツピー組合の発足から話を進めると、整理しやすい。 発足は1937年であるが、その時、茶の木の栽培者・製茶業者がレジストロのほか、北隣りのセッテ・バーラスからも、かなり加入している。そちらにも広まっていたの ...
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紅茶、誰が産業に 育てあげたか(Ⅰ) 前項の前半に記した話からは、レジストロの紅茶=岡本寅蔵というイメージが鮮明に浮かび上がってくる。その産業化は岡本の功によって成った、というイメージである。 実際、一般的には、そう認識されてきた──といってよいであろう。 それに関して、筆者は(おや?)と思う経験をした。現地である住民を ...
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プラント・ハンター その「産業」に育ったのが、紅茶である。これについては入植者の奈良県人、岡本寅蔵の名が伝説化している。 日本で製茶職人であった岡本は、1920年代、緑茶の生産を志した。が、種子すら持っていなかった。その内、サンパウロのある庭園に、支那茶が観賞用に植えられていることを知った。 しかし旅費がなかった。貧窮のど ...
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泥沼に足を… 筆者は、桂植民跡からレジストロへ引き返した翌日、市街地のセントロの近くにある公園に出かけた。東側にリベイラ河が流れており、公園には青柳郁太郎の胸像を浮彫りにした記念碑が立っていた。彼は100年前の1913年、桂に関わる以前に、ここに来ていた。家らしい家は、まだ数軒しかなかったという。 その時点では、この「場所」 ...
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桂植民地(Ⅲ) 二艘のボートは、河面を切る様に走って行く。 やがて岸の疎林の中に、小屋が一つ見えた。福澤さんによると、入植者がピンガを造っていた処らしい。とすると、陸地はすでに桂植民地の跡なのである。筆者は数十分前、イグアッペ文協で、昔、この辺りでピンガを造っていた西舘正和という老人に会っていた。 文協の役員の中に、息子さ ...
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桂植民地(Ⅱ) 周知のことであるが、日本の対ブラジル移植民事業は1908(明41)年、高知県人水野龍によって始まった。しかし、最初の笠戸丸移民は失敗した。原因は多々あったが、その一つが「実態をよく調べず、カフェー園の労務者として、移民を送り込んだこと」にあった。 この、いわゆる「カフェー園移民」を始めから否定、別の ...
続きを読む »『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(2)=桂植民地(Ⅰ)
リベイラ流域の邦人の開発前線には、それを構成する植民地と集団地が数カ所ずつ在った。前者は東京に本社を置く移植民会社が造った。後者は自然に生まれた。 前者の第一号が、イグアッペの桂植民地である。 2012年7月、筆者は、既述の最初の流域の旅の折、レジストロの文協で、会長の金子国栄さんに「桂はどうなっていますか?」と訊ねてみた ...
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