2018年
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県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(17、終)=移民の故郷で先人に祈り捧げ=子供靴の町、一時代築いた徳永家
ビリグイ日伯協会は1958年に設立し、現在会員は約150世帯。後継者となる若者不足という地方共通の悩みを抱えるが、ゲートボールやカラオケの他、盆踊りや芸能祭、敬老会など年中行事が続けられている。
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県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(16)=最後の訪問地、ビリグイ文協へ=勝負で両親と引き離された横田さん
水上公園を後にした一行は、ホテルで休憩を挟んだ後、最後の訪問地となるビリグイ日伯文化協会の歓迎夕食会に向かった。一行が到着すると、入口では会員が一列となり一人一人に握手で歓迎。ノロエステ連合日伯文化
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県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(15)=農地改革で土地奪われ移住=移住90周年迎える日野家
終戦後、曾祖母・マスヨさんと母・美喜枝さんの2人となっていた日野本家。そこに襲いかかったのが、占領軍統治下の農地改革だった。日野さんによれば「嫡男である祖父・信夫も不在のなか、女2人では所有地の全て
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県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(14)=先祖が導いた百年後の奇跡=孫の代で解き明かされる親族関係
水上公園の中を歩いていると、前述の日野寛幸さん(=第2回で掲載)が「ぜひ、聞いてもらいたいことがある」と話しかけてきた。日野さんは57年に家族と移住し、ジャーレスで育った。すでにジャーレス訪問を終え
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県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(13)=北西部の大都市、アラサツーバへ=「人と人との繋がり感じる旅」
イーリャ・ソウテイラを後にした一行は、次の訪問地であるアラサツーバに向かった。同市はバウルーから先のノロエステ沿線で最大の都市で、人口17万人を抱える。 1907年の鉄道開通に伴って開拓が進められ
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県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(12)=深い禍根残したダム建設=「政府には住民どうでもいい」(下)
故郷巡りの後、ダム建設で退去を余儀なくされた区域に在住していた人や現地事情に詳しい人に電話で取材した。 チエテ川沿いで農牧畜業を営んでいた田中正三さん(90、静岡県)は「25平方千米の土地を有して
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県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(11)=ダムで一部沈んだP・バレット=水力発電所建設の功罪(上)
故郷巡りでは、水力発電所建設で湖面が広がり、観光地として栄えるサンタフェ・ド・スールとイーリャ・ソウテイラを訪れた。だが、その一方で市面積の相当の部分が水没し、今日に禍根を残している町もある。 そ
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県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(10)=UNESP教員ら中心に発足=イ・ソウテイラ文協が歓迎昼食会
発電所を後にした一行は、イーリャ・ソウテイラ日伯文化協会主催の歓迎昼食会へと向かった。同会は市街地に賃貸の会館を有するが、大規模な訪問団の歓迎とあって、スポーツ・クラブ・バネスピーニャで催された。
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県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(9)=水力発電所の〃建設秘話〃=市の発展に中国国有企業の陰?!
イーリャ・ソウテイラ発電所は、66年には土木作業が開始され、67年から労働者受入れのための居住区域として約6千戸の建設が進められた。そこへ68年に労働者が住みはじめて、ダム建設が本格化すると共に町が
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県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(8)=水力発電所から生まれた町=大河に浮かぶ陸の孤島
一行はバスに乗り込み、イーリャ・ソウテイラ水力発電所へと向かった。同発電所はサンパウロ州とマット・グロッソ・ド・スル州の境界となっているパラナ川に跨っており、ダム全長は5605メートルあり、貯水槽面