日本移民110周年=サントス日本語学校の完全返還=ようやく訪れた「本当の終戦」
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日本移民110周年=サントス日本語学校の完全返還=ようやく訪れた「本当の終戦」=(7)=多人種が共存する平和な未来を
沖縄県人会に協力要請する以前に、奥原さんは日系社会を代表する組織、ブラジル日本文化福祉協会にもお願いしたが、断られていた。すでに当事者の大半が亡くなっており、当時を知らない世代ばかりになった今、「今
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日本移民110周年=サントス日本語学校の完全返還=ようやく訪れた「本当の終戦」=(6)=動き出した歴史見直しの歯車
2000年代に入ってから、急に歴史見直しの歯車が回りだした感がある。もちろん、上さんが会長を辞めた後のサントス日本人会の幹部の働きは大きい。04年からの遠藤浩、土井紀文セルジオ、関谷忠機アルシーデス
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日本移民110周年=サントス日本語学校の完全返還=ようやく訪れた「本当の終戦」=(5)=皇太子殿下「ごくろうさまでした」
戦後「負け組」になったのは主に、戦前の同胞社会指導者や企業家らだ。彼らはその立場ゆえに、戦中にDOPSから資産凍結や理由の不明な長期勾留などの不当な扱い、人によっては拷問までを受け、独裁政権に対して
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日本移民110周年=サントス日本語学校の完全返還=ようやく訪れた「本当の終戦」=(4)=戦勝情報というフェイクニュース
当り前だが、戦争中はどんな精神状態の人でも祖国に帰るという選択肢はなかった。そして、ヒトは抑圧され、バカにされると「いつか見返したい」「誰かが仕返ししてくれるはず」という希望を抱く。それが「日本軍が
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日本移民110周年=サントス日本語学校の完全返還=ようやく訪れた「本当の終戦」=(3)=「南米における日本移民の出エジプト記」
1942年1月にブラジルが連合国側について以来、ドイツ潜水艦による米国向けブラジル商船などへの攻撃が始まった。ブラジル政府はその対抗処置として、枢軸国側移民の資産凍結を始め、4月からはDOPS(社会
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日本移民110周年=サントス日本語学校の完全返還=ようやく訪れた「本当の終戦」=(2)=政府批判に腰が引けていた邦字紙
ブラジル日本移民百周年の際に、百年史編纂に関わり、邦字紙の歴史を書いた。その時に痛感したのは、ブラジル政府批判に関して邦字紙はどこも腰が引けていたことだ。邦字紙には1941年にゼッツリオ・ヴァルガス
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日本移民110周年=サントス日本語学校の完全返還=ようやく訪れた「本当の終戦」=(1)=上さんの執念の秘密はどこに?
先週7月8日は、戦時中最大の日本移民迫害といわれるサントス強制立退きから70周年という節目の日だった。しかも今月は、日本から眞子さまをお迎えして日本移民110周年の式典が各地で開催される大事なタイミ