ホノルル・フェスティバル最終日。朝からパレード集合の午後4時まで自由行動。朝のコーヒータイムも少しはゆっくりで、そう込み合ってはいない。 昼食後、ホノルル・フェスティバル主会場のハワイ・コンベンション・センターに行く。フェスティバルはこの会場の他に近くのアラモアナ・センターでは、10日、11日に日本からの参加団体やグループな ...
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県連故郷巡り=日本人ハワイ移住150周年=ホノルル・フェスタで交流=第8回=海から見るホノルルの夜景
ホノルル3日目の夕方、ハワイ最高のディナー・クルーズ。アロハタワー港で乗船する。全長70メートル、1500人が乗れる「スター・オブ・ホノルル号」。船は4階建てでそれぞれスペースが区切られている。 テーブルに着くと、メニューの上にはハワイのオーキッドの花、テーブルにはウェルカムドリンクが置いてある。色はきれいだが、ノンアルコー ...
続きを読む »県連故郷巡り=日本人ハワイ移住150周年=ホノルル・フェスタで交流=第7回=ハワイの移民の歴史が一目で
ハワイ3日目の3月10日、スケジュールは変わって、この日はハワイ諸島を初めて統一して1810年にハワイ王国を建国し、初代国王となったカメハメハ大王のゆかりの地を訪ねた。 「カ・メハメハ」はハワイ語で「孤独な人」、「静かな人」の意。生まれ年もはっきりしないが、いずれにしろ北西部で幼児をすごしていて、ハワイ島の首長であったカラニ ...
続きを読む »県連故郷巡り=日本人ハワイ移住150周年=ホノルル・フェスタで交流=第6回=フレンドシップ・パーティー
夕方、ホノルル・フェスティバルの行われる、ハワイ・コンベンション・センターに行く。センターは総床面積が約10万2千平米、1998年にオープンした。ハワイ州観光局が所有しており、合計47の会議場がある。 会場の入り口にはアロハの大きな切り抜き文字が、そしてこれまでのフェスティバルの歴史がパネルで知らされている。そして最終日のパ ...
続きを読む »県連故郷巡り=日本人ハワイ移住150周年=ホノルル・フェスタで交流=第5回=ワイキキビーチは人工の砂浜
今回のハワイへのふるさと巡りはメンバーが142人と大勢だったため、三つのグループに分かれていた。その一つのグループが食事しているレストランに向かった。レストランは日系の人が経営しているもので、バイキング式で日本食や他の料理もあり、自由に取ることができ、味も悪くなかったが、他の二つのグループは、他で食べたらしく文句たらたらであっ ...
続きを読む »県連故郷巡り=日本人ハワイ移住150周年=ホノルル・フェスタで交流=第4回=ハワイ総領事と州知事に面会
伝統的にハワイ政界は白人支配層(共和党)の地盤が強固であった。第2次大戦終了後、日系二世を中心とする各民族の青年層は政治・社会改革を目指し、1954年の選挙で民主党の候補者が多数当選する「流血なき革命」、あるいは、「民主党革命」と呼ばれる現象が生じた。 1954年以降、ハワイ州は民主党の勢力が圧倒的になった。例えば現在の伊芸 ...
続きを読む »県連故郷巡り=日本人ハワイ移住150周年=ホノルル・フェスタで交流=第3回=二世部隊の活躍と日系の地位
ハワイでの2日目、予定が変更されパールハーバーへ、朝早く出発する。ハワイはアメリカ合衆国50番目の州。これは米国で最も新しい州である。 七つの島からなり(小さな島は除く)、その総面積は約1万6634キロ平米で、東京都の約7・6倍。一番大きいのはハワイ島、ホノルルはオアフ島にある。 州の人口は142万8557人(米国勢調査局 ...
続きを読む »県連故郷巡り=日本人ハワイ移住150周年=ホノルル・フェスタで交流=第2回=日布移民条約で移住許可
日本からの移民は1868年から開始され、1902年にはサトウキビ労働者の70%が日本人移住者で占められ、1924年の排日移民法成立まで約22万人がハワイに渡った。 1885年(明治18年)1月、日布(ハワイ)移民条約が結ばれ、ハワイへの移民が公式に許可されるようになった。 これは官約移民と呼ばれ、1884年、最初の移民60 ...
続きを読む »県連故郷巡り=日本人ハワイ移住150周年=ホノルル・フェスタで交流=第1回=海外版最高の142人参加
ブラジル日本都道府県人会連合会(山田康夫会長)の『第48回移民の故郷巡り』は3月7日から13日の間、日本人移住150周年を迎えた米国ハワイ州を訪ねた。州都ホノルルではちょうど第24回ホノルル・フェスティバルが開催されており、ハワイの日系人、日本からの参加者、そして環太平洋の国々から参加した人たちとの交流を楽しんだ。一行は3月7 ...
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