2018年
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半沢友三郎の壮絶な戦時体験=フィリピンの戦いとブラジル移住=(4)=死と隣り合わせの逃避行
半沢さんはおじさんのもとに戻り、母親の状態と同行できないことを伝え、再び小屋に戻った。昼頃におじさんが小屋に顔を出し、母親を診ていた。 母がこのまま死ぬのではという不安に耐えられず、半沢さんが泣い
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半沢友三郎の壮絶な戦時体験=フィリピンの戦いとブラジル移住=(3)=予期しなかった母親の死
逃避行で向っている方向、島の反対側からも米軍が攻めて来ている、という知らせを受けた。進路を変え、急いで逃げ場所を求めて歩いた。疲れて歩けなくなった妹は引きずられるようにして進んだ。 雨季の最中に何
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半沢友三郎の壮絶な戦時体験=フィリピンの戦いとブラジル移住=(2)=米軍の再上陸、雨の逃避行
太平洋戦争緒戦における日本軍のフィリピン進攻作戦は1941年12月8日に始まり、翌42年5月10日に制圧を終えた。 フィリピン当初は45日で主要部を攻略できると判断され、担当部隊として第14軍が編
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半沢友三郎の壮絶な戦時体験=フィリピンの戦いとブラジル移住=(1)=「全てを忘れる気で日本出た」
サンパウロ州アチバイア市の豊かな自然に囲まれた家に住む半沢友三郎さん(82)は、「ヨ(自分)らも終わりかなと思っていた」と遠くを見つめながら回想した。半沢さんは1935年12月22日にフィリピンのミ