遂に一社だけに… 1983年、この国の生糸の生産はブラタク製糸が52%を占め、日系進出組が47%、非日系1%となっていた。ブラタクは、進出組6社と競合、過半のシェアを確保していたのである。 進出組は、ブラタク以外の生糸メーカーを廃業に追いやっていたが、実は、その経営は順調ではなかった。まず市田が華僑との合弁を試みて失敗した。 ...
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『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(20)
進出企業と競合、生き残る 順風満帆の、そのさ中、またもブラタク製糸の存亡に関わる大異変が発生した。1972~76年、日本の生糸メーカー6社が進出してきたのだ。カネボー、グンサン、昭栄、コーベス、東邦レーヨン、市田である。 6社が進出したのは、日本の養蚕家の減少が主因であった。従って、いずれも生糸の生産、日本その他への輸出、ブ ...
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技術、技術、技術… 1952年、蚕糸業界は往年の活況を取り戻していた。 同年、ブラタク製糸の役員が改選され、社長=加藤好之、役員=井久保治、天野賢治、谷口章となった。従業員は344人、生糸は年産42・7㌧で、サンパウロ州の生糸生産の60㌫を占めていた。残りが橋本製糸や非日系の10社近くの合計分であった。 しかしブラタクは、 ...
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蚕糸の鬼 話を終戦直後に戻す。 バストスでは蚕糸業者が次々、廃業していた。そういう時、その蚕糸業に執着していた男がいた。 橋本光義という山梨県人である。資料類は彼を「短躯ながらも剽悍、直情径行、志操強靭、蚕糸の鬼」と形容している。1900(明33)年の生まれで「蚕の中で生まれ、蚕と共に育った」という。生家が養蚕を営んでいた ...
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事件相次ぐ 溝部事件の翌4月の30日、バストスの敗戦派7人の店や住宅に小さな箱が届けられた。見かけぬ非日系の子供が持ってきたという。 届け先は池田正雄の店、草原義松、大場八郎、山中権吉、阿部一郎、本田正雄、林ジョンの家だった。池田の店、大場、山中の家でそれを開けた。小さな爆発が起こり、商品が四散したり、人が手や腕に怪我をした ...
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溝部事件――今なお真相は不明――。 そして3月7日夜、殺気は現実のモノとなった。溝部幾太が自宅の裏庭で射殺されたのである。 それから69年後の2015年、筆者は溝部の娘さん二人に会った。娘さん…といってもお婆さんになってサンパウロ市内に住んでいたが、そのお姉さんの方の話によると――。 溝部が撃たれた時、彼女は家の中に居て ...
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町に殺気が… 同時期、各地の邦人社会に流言飛語がとびかっていた。その中に「日本海軍の艦隊が近くサントスに入港する。邦人を祖国に迎える使節を乗せている」という報があった。無論、デマであったが、それを信じ、艦隊を出迎えようとして、無数の日本人が地方から出聖した。サンパウロを足場に情報を集め、サントスに下るつもりであった。その中には ...
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騒乱 終戦と同時にバストスが半ば壊滅してしまった…その時期、この国の邦人社会は、別の理由で騒乱状態に陥っていた。 その騒乱は、実は戦時中から始まっていた。サンパウロ州のノロエステ線、パリスタ延長線その他で、農家の養蚕舎が焼討ちされたり、薄荷畑が破壊されたりしたのである。絹や薄荷油は、祖国日本が戦っている米国に輸出され軍需物資 ...
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ここで少し補筆しておくが、1941年末の日本の開戦後、連合国側についたブラジル政府は翌年1月、日本との国交を断絶した。同時に在伯日本人を敵性国人と指定した。さらに、敵性国資産の凍結令を発した。これはブラ拓にも適用された。サンパウロの本部には、州政府からブラジル人のインテルベントール=監察官=が派遣された。 ブラタク製糸のバス ...
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ブラタク製糸の実務を担うことになった前記二人の内、天野賢治は1905(明38)年、横浜市に生まれた。地元の商業学校を出た後、近衛聯隊勤務(少尉)を経、横浜の糸商に就職、ニューヨーク支店に派遣された。(糸商=生糸を主として絹糸、絹織物も扱う商社) ここで1929年から10年間、勤務した。その末期は日米関係が悪化、開戦も予想され ...
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