「子孫に伝えるために、自分たちが苦しんだこの事件に対して、政府に謝罪を求めることに賛成する」。連邦政府に対し、損害賠償を伴わない謝罪要求訴訟の運動を行うことについて聞くと、橋本ルイス和英さん(89、二世)はそう答えた。当事者として、この国の未来のために勇気を出して声を上げることの大切さを、よく理解しての発言だった。 1943 ...
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サントス強制退去の証言=その日何が起こったのか=(6)=事件から74年間の沈黙
サントス強制退去事件の当事者で存命の人は、ほとんどが当時子供だった。今回取材した中で、その時唯一大人だったのが、大正10年(1921年)生まれで、現在もサントスに住む当山正雄さん(98、玉城村(現南城市))だ。 矍鑠とした姿で記憶力も良い。だが長いブラジル生活の中で、事件に話が及ぶと口が重くなる。落ち着かない様子で目線を外し ...
続きを読む »サントス強制退去の証言=その日何が起こったのか=(5)=成功者も突然全てを奪われた
幸福で豊かな暮らしをしていた家族が、ある日突然、全てを奪われる。サントス強制退去事件の当事者たちの多くは、その事を誰にも語らなかった。 あまりに強いショックを受けたせいで、語れなかったのかもしれない。むしろ、忘れてしまおうとすらしていた。 「悪いことでも、歴史を残すことが必要だと思います」。今年5月25日、沖縄県人会本部に ...
続きを読む »サントス強制退去の証言=その日何が起こったのか=(4)=「日本人はスパイ、出ていけ」
母親のトシ子さんから退去命令が下された話を聞いたゆうせいさんは、すぐに学校へ行って先生にその事を伝えた。先生は「私の家に来なさい」と申し出てくれたが、家族と共にいることを選び、先生に別れを告げた。 当時、父親のユウキさんはアルゼンチンへ出稼ぎに行ったきり行方不明になっており、母親と5人兄弟と共に暮らしていたという。家に戻った ...
続きを読む »サントス強制退去の証言=その日何が起こったのか=(3)=敵性国人への病院での差別
佐久間さんは聖州マリリアに到着すると、日本人が経営する「ペンソンもり」に身を寄せた。着いた途端に産気づいた母ウトさんは、無事に子供を出産した。 新しい暮らしを始めて2年目の1945年、ウトさんはもう一度妊娠し、四つ子を出産。しかし未熟児だったために、病院内での適切な治療が必要だった。 ところが「敵国の子だから」とすぐに病院 ...
続きを読む »サントス強制退去の証言=その日何が起こったのか=(2)=「目の前で全てが奪われた」
佐久間正勝ロベルトさん(83、二世)は、1936年にサンパウロ州サントス市で生まれた。物心がついた時、既に日本は敵国としてブラジル政府に認識されていたという。事件当時は7歳で、小学校1年生だった。 事件当日、学校が冬休みに入っていたため、佐久間さんは家にいた。両親は仕事に行っており、上は9歳から下は2歳の兄弟4人だけだった。 ...
続きを読む »サントス強制退去の証言=その日何が起こったのか=(1)=銃を持った警官が退去命令
第2次世界大戦中の1943年7月8日、サントス沿岸一帯に住む日本人移民6500人を中心とした枢軸国の移民に、サンパウロ州政治警察から24時間以内の退去命令が下された。着の身着のまま住居を追われ、土地や家財の処分もできず、外出していた家族と生き別れとなった人もいた。日系社会では戦後70年以上にわたり、この事件を公式に問題視せず、 ...
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