県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(23)=旅行社の機転で救われた最終日
昨晩の事故に加え、17日午前にはマナウス空港が濃霧に囲まれたために飛行機が離着陸できなくなり、34人が乗るはずだった便は結局キャンセルになった。 このような予想外の事故や自然現象は、県連のせいでも
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(22)=マナウスに取り残された34人
途中大雨に見舞われながらも、水上レストランで昼食を取った一行は、ホテル・ブルー・ツリー・マナウスに戻った。夜はアマゾン地域の魚料理レストラン「Amazônico Peixaria Regional」
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(21)=グァタパラ移住者が大集合!
二河川合流点へ向かうボートは、2つに分かれた。一緒になった伊東信比古さんは、いつものようにビールを持ち込み、色んな人に配り始めた。「この旅行中、朝、昼、晩とずっと飲んでいますよね?」と山田康夫団長に
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(20)=神様のいたずらで舞い降りた子たち
マナウスの夕食会は夜10時頃まで続いたため、連日ハードなスケジュールをこなす故郷巡り一行は、残念ながら途中でホテルに戻ることになった。 だが記者は居残り、90周年事業のためにわざわざ来伯し、故郷巡
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(19)=アマゾンの石川県人列伝
西部アマゾンでは数少ない一世の野澤須賀子さん(旧姓・宮本)は、エフィジェニオ・サーレス移住地に入植した。その50年記念誌『天園』を読んでみると、1926年当時のアマゾナス州知事のエフィジェニオ・デ・
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(18)=マナウス 日系団体と進出企業が結束
アマゾナス劇場の中に入るまでは、しばらく外で待機した。故郷巡り一行の中には、連日忙しい日程をこなしているため、疲れた顔で開場を待つ人も。そのまま30分程が経ち、ようやく中に入ることができた。 地元
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(17)=ベネズエラ難民が多いマナウス
ベレン市で90周年の式典を終え、一行は15日の朝に飛行機でマナウスへ向かった。空港では、トメアスーとベレンの式典に出席していた、西部アマゾン日伯協会の竹田ヴラジミル満音副会長(60、二世)と再会した
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(16)=青森とパラーで徳讃えられた傑人
さらに、工藤一成さんの強い意志とリーダーシップは同市の日系社会にも影響を及ぼした。イガラッペアスー日伯文化協会三十周年記念誌には、次の通り記載されている。 《イガラッペアスー日本人会発足を目指す有
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(15)=青森県議がアマゾン移住
9月14日夜、ベレン市内の平和劇場(Teatro da Paz)で「アマゾン日本人移住90周年記念式典」(生田勇治祭典実行委員長)が開催された。故郷巡り一行も記念式典に出席するために、午後6時半頃に
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(14)=移民の人生は「小説より奇なり」
その日、細田宏志さんにとってどうしても外せない用事があった。祖国から岩手県知事一行がパラグアイに訪れており、県から融資を受けていた細田さんは、歓迎会のために妻と幼い息子2人を置いて出かけた。 歓迎