人物は底をついた! 以上、下元健吉の生涯と事業を概観した。 それを終えた後、強烈な光を発しつつ、筆者の心に残ったのは、その志、気骨、創造心、度胸、闘志…である。 日系の血の継承者が、彼に学ぶものがあるとすれば、このスピリットであろう。 話は一寸それるが、30年ほど前(1989年)、当時、南米銀行の会長であった橘富士雄が「 ...
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新日系コミュニティ構築の“鍵”を歴史の中に探る=傑物・下元健吉(32)=その志、気骨、創造心、度胸、闘志…=外山 脩
下元健吉の死後も、コチア産組は拡大を続けた。 特に1960年代後半からの連邦政府の農業奨励策で、上昇気流に乗った。恩典付き融資で、組合員は営農規模を広めた。大型機械を導入、穀物生産に乗り出した。組合は1970年代、セラードを初め開発前線を各地に築いた。 一方で、農産物の加工に手を拡げ、80年代に入ると紡績工場まで建設すると ...
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下元健吉は、生身の人間らしく、その生涯を通じて多くの失敗を犯し、最後までそうであった。が、並の人間には成し難い何事かをし遂げたことは確かである。 ところで、命をかけて追求し続けた“新社会”については、基本的にどの様な思想を持っていたのであろうか。 下元は戦前、マルクス主義に関する本を熟読していて「これに比べると、我々がやろ ...
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最後の失敗 下元健吉の最期は、いかにも彼らしい劇的な幕切れであった。 しかし、これは、その生涯に於ける最後の失敗でもあった。自身の健康管理を怠り、なすべきことをやり残したまま逝ってしまった――という失敗である。 なすべきこととは、例えば、自分の…つまり専務理事の後継者=経営実務の采配者=を用意していなかったことである。 ...
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急逝! 繰り返しになるが、下元健吉は絶頂期の…その波頭の上に立っていた。 人の運命とは不思議なもので、こういう時が危ない。 農業展覧会から5カ月後の9月、その25日の昼食時刻、組合本部事務所三階、理事長室の隣りの応接室で発作を起こした。 実は、これ以前から、健康の衰えや疲労はハッキリしていた。心臓に疾患があって高血圧症に ...
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波頭の上に… 1955年のコチア青年の導入開始後、組合員の出荷総量は伸び続けた。下元の目論見は当たったのである。 1957年4月、コチア産組は創立30周年を記念して――ジャグアレー区に入手した土地で――農業展覧会を開催した。農業関係の機械類、生産物、同加工品、写真、農村生活の模型品を展示した。 生け花まであった。生け花は、 ...
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謎の奇策二件(下) 次に、もう一件の新政策であるが――。 コチア青年の導入が始まった1955年、下元はジャグァレー区の肥料・飼料工場に隣接する6万平方メートルの土地を購入しようとした。 それを聞いた人間が、自分の耳を疑ったほど不可解な買いモノであった。そんな広大な土地は必要なかったし、要する資金は莫大な額だったからである。 ...
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謎の奇策二件(上) 1950年代、コチア産組専務理事・下元健吉は、新政策を二件、打ち出した。いずれも誰も予想しておらず、理解もできなかった――という意味で奇策であった。 一件は日本からの大量の青年移民導入、もう一件はジャグァレー区の6万平方メートルという広大な土地の購入である。 前者、つまりコチア青年の導入から話を進める。 ...
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マズかった南銀との絶交 南銀としては、コチアは、そこで動く金の量からしても、是非欲しい顧客であった。が、下元がそうであったため、1957年の彼の死後も、後継者は南銀との取引はしなかった。 そのコチアと南銀が、コロニア経済界の二大城郭に発展して行ったのである。 しかも半世紀後の1990年代、コチア、南銀とも突如、落城した。 ...
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〃足〃で書かなかった邦字新聞 パウリスタ新聞は、経営面でもゴタゴタが続いた。下元が乗り出したが、うまく行かず投げ出してしまった。つまり下元は、ここでも失敗している。 なお付記しておけば、パウリスタ新聞発刊から10年も経った1956年1月1日、同紙は『コロニア戦後十年史』という雑誌を発行した。この中で10年前の騒乱を詳しく取 ...
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