巨大化を目指す 下元が増資積立金制度を作ったのは、施設拡充のためであったが、実は、別の目的もあった。コチアを巨大化させようとしていたのである。 ここで、話を進める都合上、これまでの流れを振り返ってみる。 この国の農業界は、かつては中世の荘園色を残すファゼンダが殆どを占めていた。日本移民は(非日系もそうであったが)、そのファ ...
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新日系コミュニティ構築の鍵を歴史に探る=傑物・下元健吉=その志、気骨、創造心、度胸、闘志=ジャーナリスト 外山脩=(12)
下元健吉の創造心の話を続ける――。 1936年、彼はコチアに「増資積立金」という制度を作った。これは「組合員の出荷物の売上げの一部を天引きして積み立て、組合の資本金に組み入れる」というシステムであった。 しかし、組合員は組合加入時に出資金を納め、以後は生産物の出荷・販売時に手数料を払っていた。それ以外に、この増資積立金を差 ...
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1938年末、コチア産組の業容は、次の様になっていた。 組合員は1500人。約1割が非日系人。その営農地はサンパウロ市近郊、州西部。じゃがいも、蔬菜(トマトその他)を主に綿、鶏卵などを生産・出荷。バタテイロの殆どがカミニョンを所有。 購買部で営農資材や生活用品を販売。因みに、それまで商人から購入していた外国製の化学肥料を直 ...
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1934年の暮れ近く、またも危機が襲った。11月、ピニェイロスの市場(いちば)で、仲買人がコチアのバタタをボイコットし始めたのである。カリネイロ(手押し車で売り歩く小商人)まで引き込んで、この挙に出た。コチア側は虚をつかれた。丁度、出荷の最盛期で、大事になりかねなかった。 彼らがボイコットを起こした理由は――。 その頃、コ ...
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13組合員の特別出資金の醵出で救われた下元健吉であったが、以後も采配の乱れは続いた。 1932年、会計理事が自分の農場で使う資材を、勝手に先払いで組合の購買部から購入、それが常識外の額になっていた――という事実が露見した。これは監事会が処理したが、専務の監督責任でもあった。 1933年、下元は元専務二人を、組合から除名する ...
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奇妙ないきさつで理事長になった下元健吉であったが、その運勢は下げ潮に転じた。 まず、組合経営の采配が乱れ続けた。経営というものに関しては、全く未経験だったのだから、最初から巧く行く筈はないのだが、時期も悪かった。 1929年10月、ニューヨーク発の世界恐慌が発生、ブラジルにも波及、バタタ(ジャガイモ)の市況まで暴落させたの ...
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いきなり、理事長に! 1927年末、コチア産組が創立された時、当然、役員も選出された。その時、初代理事長になったのが、なんと下元健吉であった。 29歳であり、組合員の中では若手だった。しかも未だ独立農でもなかった。下元家の当主は兄の亮太郎だった。それが、80余名の他の組合員をゴボウ抜きして、理事長になってしまったのである。大 ...
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いごっそう ビーラ・コチアに次いで各地に、総領事館の支援によって、邦人産組が次々と生まれた。だが、これらは総て館の奨めと指導によって、そうした。コチアは1918年以降、自ら企て、何度も失敗しながら、10年近くかけて実現した。この先行ぶりと粘りは尋常ではない。 しかも発足後、事業量をドンドン伸ばした。非日系を含めて――この国の ...
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ビーラ・コチアのバタテイロを産組設立に駆り立てた直接的キッカケは、仲買人の不正であった。 バタテイロは収穫したじゃがいもを、サンパウロ市内ピニェイロス区の青空市場まで運び、非日系の仲買人に相対取引で売っていた。だが、彼らは狡猾だった。買う時、石油缶を升にして量を計りながら、手かげんでごまかし利を盗んでいたのである。 そのた ...
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1922年、下元家は漸く土地を買うことができた。じゃがいもの市況が良かったのだ。日本を出てから8年が過ぎていた。 加えて、健吉が殊勲を挙げた。 当時、モイーニョ・ヴェーリョのバタテイロ(ジャガイモ生産農家)はベト病の蔓延に苦しんでいた。その予防法に疎かったのである。ところが健吉が――たまたま他家で読んだ日本の農業雑誌で―― ...
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