連載
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サントス強制退去の証言=その日何が起こったのか=(3)=敵性国人への病院での差別
佐久間さんは聖州マリリアに到着すると、日本人が経営する「ペンソンもり」に身を寄せた。着いた途端に産気づいた母ウトさんは、無事に子供を出産した。 新しい暮らしを始めて2年目の1945年、ウトさんはも
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サントス強制退去の証言=その日何が起こったのか=(2)=「目の前で全てが奪われた」
佐久間正勝ロベルトさん(83、二世)は、1936年にサンパウロ州サントス市で生まれた。物心がついた時、既に日本は敵国としてブラジル政府に認識されていたという。事件当時は7歳で、小学校1年生だった。
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サントス強制退去の証言=その日何が起こったのか=(1)=銃を持った警官が退去命令
第2次世界大戦中の1943年7月8日、サントス沿岸一帯に住む日本人移民6500人を中心とした枢軸国の移民に、サンパウロ州政治警察から24時間以内の退去命令が下された。着の身着のまま住居を追われ、土地
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(23)=旅行社の機転で救われた最終日
昨晩の事故に加え、17日午前にはマナウス空港が濃霧に囲まれたために飛行機が離着陸できなくなり、34人が乗るはずだった便は結局キャンセルになった。 このような予想外の事故や自然現象は、県連のせいでも
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(22)=マナウスに取り残された34人
途中大雨に見舞われながらも、水上レストランで昼食を取った一行は、ホテル・ブルー・ツリー・マナウスに戻った。夜はアマゾン地域の魚料理レストラン「Amazônico Peixaria Regional」
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(21)=グァタパラ移住者が大集合!
二河川合流点へ向かうボートは、2つに分かれた。一緒になった伊東信比古さんは、いつものようにビールを持ち込み、色んな人に配り始めた。「この旅行中、朝、昼、晩とずっと飲んでいますよね?」と山田康夫団長に
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(20)=神様のいたずらで舞い降りた子たち
マナウスの夕食会は夜10時頃まで続いたため、連日ハードなスケジュールをこなす故郷巡り一行は、残念ながら途中でホテルに戻ることになった。 だが記者は居残り、90周年事業のためにわざわざ来伯し、故郷巡
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(19)=アマゾンの石川県人列伝
西部アマゾンでは数少ない一世の野澤須賀子さん(旧姓・宮本)は、エフィジェニオ・サーレス移住地に入植した。その50年記念誌『天園』を読んでみると、1926年当時のアマゾナス州知事のエフィジェニオ・デ・
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(18)=マナウス 日系団体と進出企業が結束
アマゾナス劇場の中に入るまでは、しばらく外で待機した。故郷巡り一行の中には、連日忙しい日程をこなしているため、疲れた顔で開場を待つ人も。そのまま30分程が経ち、ようやく中に入ることができた。 地元
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(17)=ベネズエラ難民が多いマナウス
ベレン市で90周年の式典を終え、一行は15日の朝に飛行機でマナウスへ向かった。空港では、トメアスーとベレンの式典に出席していた、西部アマゾン日伯協会の竹田ヴラジミル満音副会長(60、二世)と再会した