連載
-
麻が結わえた南米との絆=エクアドルの古川拓植=(3)=従業員とサッカーで団結=紙幣や煙草、紅茶袋にも
ニッケイ新聞 2013年9月18日 古木雄治さんの両親は子供の頃ボリビアのサンフアンに移民として渡ったが、後にエクアドルに再移住しており、南米生活は長い。でも家庭内は日本語で、古木さんも日本の大学へ
-
日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (47)=輪湖、海興本部訪ねる=水野「信州は移植民を」
ニッケイ新聞 2013年9月17日 レイス法案に対して、親日派議員オリヴェイラ・ボテーリョはサンパウロ州の日本人集団地を巡回視察し、イグアッペにも足を伸ばし、数十頁にわたる報告意見書を作成して192
-
麻が結わえた南米との絆=エクアドルの古川拓植=(2)=ダバオ時代とほぼ同じ作業=ラバと人の目と手が頼り
ニッケイ新聞 2013年9月17日 「いつも上を見て歩くのが癖になっている」と、切り倒されたアバカで足場の悪いプランテーションを歩く半沢勝さん。上を見るのは咲きそうな花がないか探すためだ。開花直後が
-
日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (46)=3度目の移民流入途絶=止めのレイス法案提出
ニッケイ新聞 2013年9月14日 当時の日本側の「脱亜入欧」という意識は、日清日露両戦争の勝利によって確固たるものになり、第一次世界大戦も経て、日本人自身は西洋列強の仲間入りした気分になっていた。
-
麻が結わえた南米との絆=エクアドルの古川拓植=(1)=戦前ダバオ、奇縁で再興=スザノからの転住者も入植
ニッケイ新聞 2013年9月14日 【秋山郁美エクアドル通信員】戦前からの熱い日本移民の志を引き継いだ男たちによるエクアドル移住——。南米の中でも日本人移住者が少なく、国策としての移民がなかったと言
-
日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (45)=米騒動と米作移民の関係=青柳の密約「珈琲禁止」?
ニッケイ新聞 2013年9月13日 1918年当時、米の安定供給は日本の生命線であった。戦争気運と共に米価が上昇する祖国の時代情勢は、日本移植民にどんな影響を与えたのか。実はこの当時、ブラジルにはす
-
日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (44)=輪湖「今のうちに植民増やせ」=海興が実権握る前に自治を
ニッケイ新聞 2013年9月12日 移民会社が合併した海興の中心業務は移民労働者(コロノ)輸送であり、サンパウロ州政府の渡航費補助さえあれば、誰でも渡伯が可能だった。だから多くの日本人がとお金を稼い
-
日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (43)=「教育県から移民県へ」=信州から続々と草分け
ニッケイ新聞 2013年9月11日 「父は最初から永住するつもりできた」。1917年のレジストロ第1植民団の一人、松村栄治(1894—1988)を父に持つのが、昌和(91、二世)=3月11日取材=だ
-
ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(10)=購読料の半分が配達経費に
ニッケイ新聞 2013年9月11日 深沢=僕らとしては、若松さんが言われたみたいに、ここに住んでいる人間として見聞きした経験から「今現れている現象はこういう兆しじゃないのか」というような経験から絞り出
-
日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ =(42)=治の遠大な旅路の終着点=「父は好きなように生きた」
ニッケイ新聞 2013年9月10日 聖南の〃日本村〃レジストロは、何人もの明治男子の遠大な旅路の終着点として選ばれた地だった。佐々木定一は最初、南米の太平洋岸ペルーに移住したが、歩いてアンデス越えを