連載
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ざっくばらんに行こう!=ニッケイ新聞合併15周年記念座談会=(4)=合併の経緯、今明らかに
ニッケイ新聞 2013年9月3日 ■田村吾郎(たむら・ごろう)=1932年生まれ、岡山県美濃郡出身。大阪学芸大教育学部卒、1960年渡伯。アラソイア・ダ・セーラで1年の農地生活後、パ紙に入社し、田中光
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(57)
ニッケイ新聞 2013年8月2日 認識派史観の起源 事件は、ポルトガル語の新聞が、その日の夕刊から、デカデカと報道、以後、連日、それを続けた。 記事は「日本の戦勝を狂信する秘密結社臣道連盟のトッ
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(70)
ニッケイ新聞 2013年8月21日 やはり7月17日、カフェランヂアから北東に60キロほど行った地点、ボルボレーマで、岩田篤冶が殺害された。(トクゾウと記す資料もある)置き手紙が残されており
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ブラジル文学に登場する日系人像を探る 10=中里オスカル=ジャブチ受賞『NIHONJIN』=中田みちよ=(4)=戦時下でも日本精神滋養
ニッケイ新聞 2013年8月3日 ここでは親に逆らう罰として「ヤイト」がすえられます。アハハ・・・お灸ねえ。お灸で思想的なものが変えられるなら、世の中、苦労しないんじゃないんですか。ハハハ。しかし、
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(71)
ニッケイ新聞 2013年8月22日 以上の十年史の記事は、当時のポルトガル語の新聞記事の翻訳や阿部豊の手記によって構成されている。 ところが、筆者が2012年、現地を訪れてみると、意外なこ
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(58)
ニッケイ新聞 2013年8月3日 またも日本人狩り 死亡1、未遂1という事件に、検挙千数百人というのは、馬鹿馬鹿しいほどの多さであった。 この程度の事件に、それだけの人数が関係することなど、物理
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(72)
ニッケイ新聞 2013年8月23日 続・パウリスタ延長線方面 8月10日、パウリスタ延長線マリリアで、また事件が起きた。 認識派の時計商、平田良博が射殺された。戦時中のサントス追立ての被
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ブラジル文学に登場する日系人像を探る 10=中里オスカル=ジャブチ受賞『NIHONJIN』=中田みちよ=(5)=移民家庭の幸せとは?
ニッケイ新聞 2013年8月6日 まあ、移民はみな多かれ少なかれ日常茶飯事的に、こんなイヤがらせを経験しています。たしなみがある人は思っていても口には出さない。左官階級や、ひどいときは乞食にまでのの
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(73)
ニッケイ新聞 2013年8月24日 8月20日。 ソロカバナ線アヴァレー在住の認識派の岡本良平が、3人の若い男に襲われた。が、機先を制して反撃したため、無事であった。3人は、その後逮捕され
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(59)
ニッケイ新聞 2013年8月6日 特攻隊ではなく特行隊 四月一日事件の直後、これも(以下、またも同じ表現の繰返しになって恐縮だが……)歴史上初めて、突如、表面に現れ、認識派史観Ⅶに転用された「特攻