連載
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(16)=青森とパラーで徳讃えられた傑人
さらに、工藤一成さんの強い意志とリーダーシップは同市の日系社会にも影響を及ぼした。イガラッペアスー日伯文化協会三十周年記念誌には、次の通り記載されている。 《イガラッペアスー日本人会発足を目指す有
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(15)=青森県議がアマゾン移住
9月14日夜、ベレン市内の平和劇場(Teatro da Paz)で「アマゾン日本人移住90周年記念式典」(生田勇治祭典実行委員長)が開催された。故郷巡り一行も記念式典に出席するために、午後6時半頃に
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(14)=移民の人生は「小説より奇なり」
その日、細田宏志さんにとってどうしても外せない用事があった。祖国から岩手県知事一行がパラグアイに訪れており、県から融資を受けていた細田さんは、歓迎会のために妻と幼い息子2人を置いて出かけた。 歓迎
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(13)=唯一パラグアイからの凄い参加者
上塚芳郎(よしお)さんに、いつから祖父・司の移民事業に関心を持ったのかと聞くと、「本人の死後だ」という。「祖父が生きていた時は大学生で、あまり関心がなくて。山根一眞さんというジャーナリストがブラジル
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(12)=追い続けた“第二の日本”の夢
戦前に第2回高拓生の尾山萬馬の父・良太がジュート(黄麻)の優良種の栽培を成功させ、アマゾン流域の産業創出に貢献した。戦後、同地では労働力となる日本人移民が望まれていた。そこで再び登場するのが、上塚司
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(11)=アマゾン開拓の父、上塚司の孫
アマゾン日本人移民といえば、最初であるトメアスー移住について語られることが多い。しかしその他にも幾つかのグループがこの流域に入植した。その一つが、「アマゾン開拓の父」の故・上塚司が主導し、1931年
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(10)=非日系生徒が8割の越知学園
14日昼、マンガル・ダス・ガルサス公園で昼食を取る一行とは別に、汎アマゾニア日伯協会の横にあるレストラン「博多」へ向かった。ここでは、90周年式典を直前に控えたアマゾン日本人移住90周年記念祭パラー
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(9)=秋篠宮両殿下も訪れた巨大市場
トメアスーでの90周年式典後、バスで5時間以上かけてベレンのホテル「サグレス」へ戻った。午後9時に近く、一行はホテルのレストランで遅い夕食を取った。 「この方はドイツ語の読み書きができるんですよ」
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(8)=第1回子孫にとってのトメアスー
トメアスーで行われたアマゾン日本人移住90周年式典には、パラー州各地からもお祝いに駆けつけた。 「彼女は第1回移民の娘なんだ」。故郷巡り一行の隣りに座っていた現地参加組の夫婦に話しかけると、ベネジ
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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(7)=51年目の再会果たす同船者
13日午前2時半、部屋の電話が鳴った。この日は午前3時に朝食、午前4時にベレンのホテルを出発し、午前10時からトメアスーで行われるアマゾン日本人移住90周年に参加する予定だ。 当初はトメアスーで1