連載
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇前史編◇ (17)=ドイツ植民地に触発され=数年で南部州発展と確信
ニッケイ新聞 2013年7月17日 青柳は『時事新報』の「伯刺西爾旅行」(1912年7〜8月)の中でパラナ州、サンタカタリーナ州、南大河州を見て回って、鉄道の整備が遅れて移動が不便で、まったく手の付
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇前史編◇ (16)=青柳の南部3州視察ルポ=渾身の24回連載を発表
ニッケイ新聞 2013年7月16日 1910年7月に創立された「東京シンジケート」は、植民構想の具体化のためにまず青柳をブラジルに派遣した。だが、よく見ると、青柳は創立総会前の6月30日に東京を出発
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇前史編◇ (15)=砂金掘り、稲作で繁栄=衰退期だったイグアッペ
ニッケイ新聞 2013年7月13日 一方、ブラジル側はどんな状況だったのか——。 16、17世紀にイグアッペ河上流では金が発見され、当地最初の〃黄金狂時代〃を迎えた。だから「レジストロ」という名前
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇前史編◇ (14)=国策のような民間事業=国権論者からの太い流れ
ニッケイ新聞 2013年7月12日 《外交の見地より小村外相が反対せしため、閣議によって政府の方針を決定する事は不成功に終わったが、大澤幸次郎、濱尾新(はまお・あらた)、杉浦重剛、中野武営の諸氏の後
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇前史編◇ (13)=日露戦争大歓迎したブラジル=実は海軍籍だった笠戸丸
ニッケイ新聞 2013年7月11日 日露戦争後、米国で黄禍論が広まる一方、ブラジルはまったく違った様子で日本人に接した。 水野龍は「海外移民事業ト私」(国会図書館「ブラジル移民の100年」サイトよ
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇前史編◇ (12)=日露戦争後一転する米国=ルーズベルトとブラジル
ニッケイ新聞 2013年7月9日 世界史から移民史を見た場合、やはり日露戦争(1904〜5年)は大きな転機だ。セオドア・ルーズベルト米国大統領(1901—09年)は日露戦争当時「親ユダヤ、反ロシア」
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇前史編◇ (11)=杉村報告の黒幕は堀口か=日露戦争は移民史の転機
ニッケイ新聞 2013年7月6日 初代弁理公使の珍田捨巳が赴任して日本公使館がペトロポリスに設置されたのは1897(明治30)年8月23日。公使は通常外交中心だが、彼の場合は初代総領事も兼ねていた。
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇前史編◇ (10)=亜国が巡洋艦2隻譲る=日本海海戦で重要な働き
ニッケイ新聞 2013年7月5日 1903年12月20日、《在ブラジル公使館に小村寿太郎外務大臣から「アルゼンチンと装甲巡洋艦購入交渉を開始せよ」との訓令電報が入った》(『亜国移民史』16頁)。亜国
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇前史編◇ (9)=知られざる南米国交の契機=日露戦争との隠れた繋がり
ニッケイ新聞 2013年7月4日 この時代、日本が朝鮮半島を支配して、ロシアが満州・蒙古(モンゴル)を支配するという利害均衡の問題を『満韓問題』と言った。 小村からすればブラジルへの移植民は、18
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇前史編◇ (8)=大浦兼武の後ろに桂太郎=小村外相の大反対で頓挫
ニッケイ新聞 2013年7月3日 その大浦兼武を重用したのが桂太郎(陸軍大将、1848—1913)だ。もちろん「桂植民地」は彼の貢献への顕彰として死後に命名された。 大浦との共通点はともに軍人で、