連載
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ブラジルに於ける茸栽培の沿革と一考察=野澤弘司=(9)
ニッケイ新聞 2013年4月30日 台湾系移民の誘致とキノコ村の創設泥壁と土間で出来た空調設備の無い菌舎での栽培は、11月から翌年3月迄の夏場は高温の為、キノコの発生は極く僅かとなり、発生しても雑菌
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ブラジルに於ける茸栽培の沿革と一考察=野澤弘司=(8)
ニッケイ新聞 2013年4月27日 醗酵した馬糞のビン詰め培地を、五右衛門風呂宜しき底蓋の下迄水を張ったドラム缶で、連続3日間、薪を焚いての蒸気殺菌後、放冷3日間の間欠殺菌を2回繰り返し培地とした。
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ブラジルに於ける茸栽培の沿革と一考察=野澤弘司=(7)
ニッケイ新聞 2013年4月26日 船上の移民と埠頭に群る見送りの人を繋ぐ紙テープを手に、何度となく繰りかえしては響き渡る拡声器からのかすれた蛍の光が、更に哀愁を誘い、帰って来いよ! 頑張れよ! と
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ブラジルに於ける茸栽培の沿革と一考察=野澤弘司=(6)
ニッケイ新聞 2013年4月25日 《台湾系移住者に拠るマッシュルーム栽培活動》 ブラジルに於ける台湾人のマッシュルーム栽培は、比較的短い歳月の内に、着実に実績を示している事は特筆に値する。其の要因
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ブラジルに於ける茸栽培の沿革と一考察=野澤弘司=(5)
ニッケイ新聞 2013年4月24日 《マッシュルーム栽培フローチャート(1970年代の一般的な栽培法)》 (1)菌床材料仕込み=稲藁、牧草、バカソ,馬糞、米ぬか、フスマ、化学肥料、微量要素等の菌床原料
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ブラジルに於ける茸栽培の沿革と一考察=野澤弘司=(4)
ニッケイ新聞 2013年4月23日 1962年、モジダスクルーゼス在住の旧制鳥取高等農林専門学校出身の篤農家、瓜生知助も数年の試験栽培を経て、朋友古本から遅れる事10年にしてやっとマッシュルームの発
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デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=最終回=日本寄りのブラジル人=浦島太郎現象で定住?
ニッケイ新聞 2013年4月23日 岐阜県美濃加茂の多文化交流センター近くにあるブラジル食料品店「クリチバ・ショップ」へ立ち寄った時、そこで働く日系人女性に話しかけると「ソニー工場閉鎖の後はお客さん
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ブラジルに於ける茸栽培の沿革と一考察=野澤弘司=(3)
ニッケイ新聞 2013年4月20日 《種菌の入手経路とその形態》 往時のマッシュルームの種菌は全て外国産で、其の入手は非常に難しかった。当時の日本は種菌の輸出禁止令下にあり、日本人でありながら、日本
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デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=第8回=愛知編=子供たちに学びの場をー=「日本のブラジル人に貢献したい」
ニッケイ新聞 2013年4月20日 田中マルリさんの恋人ドウグラス・ナシメントさんはサンパウロ市出身、16歳で単身訪日した。大阪を中心に関西の建設現場で働いたが、訪日一年後に父親が亡くなり、それを契
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ブラジルに於ける茸栽培の沿革と一考察=野澤弘司=(2)
ニッケイ新聞 2013年4月19日 ブラジルのキノコ栽培の歴史的、技術的経緯を知るには、ブラジルのキノコ業界の発展に偉大な足跡を遺した古本が、故橋本梧郎植物分類学者に請われて執筆し、1983年に農林