連載
-
第2の子供移民〜その夢と現実=日伯教育矛盾の狭間で=第7回=「単調な工場労働イヤ」=家族残し、自分の意志で帰伯
ニッケイ新聞 2013年1月18日付け 「日本での生活が嫌になっちゃったんですよね」。帰伯して1年が経つ的野アドレルさん(22、三世)は、今までの例とは異なり、自分の意思でブラジルに戻ってきた。
-
第2の子供移民〜その夢と現実=日伯教育矛盾の狭間で=第6回=非日系の母に日本語強要=不法滞在迫り〃帰国〃
ニッケイ新聞 2013年1月17日付け わずか8カ月で親に連れられて訪日した田中アルベルトさん(21、仮名)には、〃祖国〃ブラジルの記憶はない。 訪日当初、非日系の母は日本語を満足に話すことが出来
-
ブラジル文学に登場する日系人像を探る 5—オ・アンドラーデの『基点』—伯学校の奇妙な授業風景=中田みちよ=第2回
ニッケイ新聞 2013年1月17日付け この作品は、一口にいうなら1930年の革命を機に、労働者階級がよりよい生活を求めて闘う情熱を書いたもの。作品は労働者階級の話し言葉をそのまま移し変えていますか
-
第2の子供移民〜その夢と現実=日伯教育矛盾の狭間で=第5回=妊娠、帰伯、離縁、解雇…=四世に対する厳しい壁
ニッケイ新聞 2013年1月16日付け 三宅ミドリさん(22、四世)は週末のほとんどをストレス発散のために、ブラジル人の友人と愛知県豊橋市内のゲームセンターやカラオケに繰り出した。変わり映えのない日
-
ブラジル文学に登場する日系人像を探る 5—オ・アンドラーデの『基点』—伯学校の奇妙な授業風景=中田みちよ=第1回
ニッケイ新聞 2013年1月16日付け 近代芸術週間のもうひとりの立役者がオズワルド・デ・アンドラーデ(Oswald de Andrade、1890—1954)です。早くからボヘミアン的生活を送り、
-
「日本は没落と苦悩に喘ぐ国となるのか—否、若者がいる」=フォーリン・プレスセンター理事長 赤阪清隆=最終回=国際化し日本に活力を=若者をグローバル人材に
ニッケイ新聞 2013年1月15日付け 日本ではこれまでにも、役所や企業などのどの組織にも、国内派と国際派がありました。そして、関係者との根回しや泥臭い付き合いなどに強い国内派の人たちが、組織の中で
-
第2の子供移民〜その夢と現実=日伯教育矛盾の狭間で=第4回=「何とかなる」と高校中退=工場労働で後悔の日々も
ニッケイ新聞 2013年1月15日付け 三宅ミドリさん(22、四世)は1996年、6歳の時に訪日し、先にデカセギに行っていた両親と合流した。家庭内もポ語会話が基本で、日本語を覚えるのには苦労したとい
-
「日本は没落と苦悩に喘ぐ国となるのか—否、若者がいる」=フォーリン・プレスセンター理事長 赤阪清隆=第7回=求められるのは人材力=リスク恐れず世界へ出よ
ニッケイ新聞 2013年1月12日付け 今日最後にお話ししたいことは、日本が決して「没落と苦悩」に喘ぐ国にならないために、皆さんのように若く元気な人たちが世界へ出て頑張っていただきたいという私の願い
-
第2の子供移民〜その夢と現実=教育矛盾の狭間で生きる=第3回=ブラジル人に距離感じる=「日本人的な方が合う」
ニッケイ新聞 2013年1月12日付け 「純粋なブラジル人には、少し距離を感じます。もしかしたら私が『ちょっと違うな』って思ってしまっているのかも」。そう話すのは、3歳から12年間日本に滞在した平良
-
「日本は没落と苦悩に喘ぐ国となるのか—否、若者がいる」=フォーリン・プレスセンター理事長 赤阪清隆=第6回=自信と誇りを持て=日本的価値観を次世代へ
ニッケイ新聞 2013年1月11日付け もう一つ我々ができることは、日本人として自信と誇りを持つことです。清潔、誠実、他者への思いやり、忍耐力、清貧の思想、質実剛健、教育の重視や老人子供を大事にする