連載
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ブラジル文学に登場する日系人像を探る4=マリオ・デ・アンドラーデの「愛は自動詞」=端役の日本人コッペイロ=中田みちよ=第1回
ニッケイ新聞 2012年12月11日付け 文学の中に最初に日系人を登場させたのは、たぶん、マリオ・デ・アンドラーデです。そのうちまた何かの拍子に、日系人が出ている作品に出くわすこともあるかもしれませ
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日本酒市場開拓の草分け=飯田龍也さんの新商法=(下)=父子で伝える日本食文化
ニッケイ新聞 2012年12月7日付け 東洋街では毎年のように老舗の日本食店、日系商店が閉店していく——。 そんな中で飯田龍也アレシャンドレさんが8年前から始めた「酒蔵」は、数少ない気を吐く存在だ
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日本酒市場開拓の草分け=飯田龍也さんの新商法=(上)=ポ語サイト開設し大人気
ニッケイ新聞 2012年12月6日付け 来年はいよいよ移民105年だが、ワインなどに比べて日本酒の認知度はまだまだ低い。そんな中で新手の普及方法を編み出して孤軍奮闘するのは、リベルダーデ区に「酒蔵
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工業移住 秦野生50周年=最後発の戦後移民群像=(下)=ブラジル社会へ溶け込んだ人生
ニッケイ新聞 2012年12月1日付け 3期生の佐藤隆さん(70、岩手)は、オリンピック景気の只中にあった1963年に渡伯した。日本の急成長を予感しながらも「日本で生まれて日本で死ぬより、別なことを
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工業移住 秦野生50周年=最後発の戦後移民群像=(中)=青年の勢いで渡伯を決意
「思ったより集まってくれた。45周年より盛り上がってよかった」。記念同窓会の世話人の一人、安藤光明さん(71、秋田、3期生)はそう笑顔でうなずいた。 工業移住者の多くがそうであるように、秦野生のほ
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第15回=砂漠の中の椰子文化圏=往復6千キロ経て帰還
ニッケイ新聞 2012年11月29日付け 「この辺はボクがブラジルに来た54年前のマット・グロッソと同じような感じですね。まるで時間が止まっているようだ。ブラジルの原点だね」。プレギッサ川の艀の近く
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工業移住 秦野生50周年=最後発の戦後移民群像=(上)=数十年ぶりの同窓会で笑顔
「最後に来たのは40年前。記憶もないくらい昔の話」—秦野生らは縁の深い神奈川農場に到着すると、清々しそうに周囲を見渡し、記憶の糸をたぐった。1962年に神奈川県立秦野高等職業訓練所に海外工業移住科が
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第14回=バレイリンニャス=まるでパリ・ダカール=アマゾンに広がる砂漠の謎
ニッケイ新聞 2012年11月28日付け 10月2日午後2時過ぎ、一行が泊まる宿の前にはズラリ10台近くもバンジが並ぶ——壮観だ。現地集落を越えると砂地の道が延々と14キロも続く。運転手含めて11人
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第13回=バレイリンニャス=トヨタ車が一番多い町=「砂丘ではバンジが最高」
ニッケイ新聞 2012年11月27日付け 一行の浜口洋さん(68、三重)も小山徳さん同様に工業移民で、最初はNEC、73年からはテレブラスに勤めていた。「軍事政権は電信電話による全伯のインテグラソン
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第12回=サンルイス=名物ボイ踊りを堪能=青年隊員の知られざる貢献
ニッケイ新聞 2012年11月24日付け 最後に、山田清さんが手配した同州が誇る芸能「ブンバ・メウ・ボイ」を踊るチーム「ボイ・デ・ルア」の舞踏が披露された。若者40人がバンドと踊り子に分かれ、植民地