連載
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第1回=参加者各人の移民ドラマ=柴田空軍少将がお出迎え
ニッケイ新聞 2012年11月6日付け 第38回を数える県連故郷巡り一行は9月29日午前9時半、サンパウロ市のコンゴーニャス空港に集合してブラジリアへ向かった。たまたま隣に座った、いつもおしゃれな小
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ブラジル文学に登場する日系人像を探る3=ギマランエス・ローザの「CIPANGO」=ノロエステ鉄道の日系人=中田みちよ=第6回
ニッケイ新聞 2012年11月1日付け 日本人はきたときはみんな貧乏で金持ちになって帰る・・・。出稼ぎ根性はブラジル人たちだって看破していたんだ・・・私も読み終わってバンザーイ、バンザーイ。そういえ
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ブラジル文学に登場する日系人像を探る3=ギマランエス・ローザの「CIPANGO」=ノロエステ鉄道の日系人=中田みちよ=第5回
ニッケイ新聞 2012年10月31日付け 開拓期の日本人はずいぶん蛇を食べましたからね。幸運をもたらすというより精がつくと信じられていたように思います。トカゲやハリねずみなど、山を伐採中に見つけては
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ブラジル文学に登場する日系人像を探る3=ギマランエス・ローザの「CIPANGO」=ノロエステ鉄道の日系人=中田みちよ=第4回
ニッケイ新聞 2012年10月30日付け 「そこから私たちは「サッカラ」(シャカラ)に向かった。密生した竹やぶがあたりに趣を添えている。そしてサトウキビ畑が緑の迷路を作っている。住宅に近づくと、堆肥
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ブラジル文学に登場する日系人像を探る3=ギマランエス・ローザの「CIPANGO」=ノロエステ鉄道の日系人=中田みちよ=第3回
ニッケイ新聞 2012年10月27日付け 「彼らは街からあまり遠くないにカリチ(借り地)をしているのだった。水先案内人としてハチミツ(もしかしたら三橋?)さん宅まで連れてってくれた黒人はこう明かした
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ブラジル文学に登場する日系人像を探る3=ギマランエス・ローザの「CIPANGO」=ノロエステ鉄道の日系人=中田みちよ=第2回
ニッケイ新聞 2012年10月26日付け 移民の多くはマット・グロッソがどこにあり、どんなところかも知らなかったのですが、まずイツー駅に集合して(農園を逃げ出した第一回移民が多い)二手に分かれました
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ブラジル文学に登場する日系人像を探る3=ギマランエス・ローザの「CIPANGO」=ノロエステ鉄道の日系人=中田みちよ=第1回
ニッケイ新聞 2012年10月25日付け 死後出版された『Ave, Palavra(言葉のモザイク)』(2001年、フロンテイラ出版社、第5版)というジョアン・ギマランエス・ローザ(1908—196
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ブラジル文学に登場する日系人像を探る2=ゼリア・ガタイの優しい視線=『Casa do Rio Vermelho』の「ぶらじる丸」=中田みちよ=第3回
ニッケイ新聞 2012年10月9日付け ただひとつ引っかかることがあります。前述したように私は「ぶらじる丸」を検索したのですが、戦前には「ぶらじる丸」が存在しないのです。ですから、戦前には「ぶらじる
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ブラジル文学に登場する日系人像を探る2=ゼリア・ガタイの優しい視線=『Casa do Rio Vermelho』の「ぶらじる丸」=中田みちよ=第2回&
ニッケイ新聞 2012年10月5日付け 「一等客との会話よりも面白かったのは、下方の日本人の子どもたちとの交流だった。敏捷そのもので・・・ジョルジは毎日のように子どもたちを招待してはピクニックをやっ
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ブラジル文学に登場する日系人像を探る2=ゼリア・ガタイの優しい視線=『Casa do Rio Vermelho』の「ぶらじる丸」=中田みちよ=第1回
ニッケイ新聞 2012年10月4日付け ジョルジ・アマードについて最近調べなおしたことがありました。そのときに、アマードを語るなら伴侶であるゼリア・ガタイ(Zelia Gattai、1916—200