連載
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第3回=03年、第1回大会開催!=ガ・ブエノ街も舞台に
ニッケイ新聞 2012年7月12日付け 「時間を守る」「挨拶をする」「整理整頓をする」—をYOSAKOI3原則とした。「街は舞台だ」をスローガンに街中で踊る札幌に倣い、文協講堂での公演に加え、リベル
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第2回=「若者を呼び戻したい」=日系社会活性化目指し
ニッケイ新聞 2012年7月11日付け 若者を巻き込み短期間に日本全国、海外へと広まっていったYOSAKOI。日系社会の縮小に歯止めをかけたいと願っていた飯島秀昭氏は、YOSAKOIのビデオを手にし
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山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(4・終)=〃光は東方より〃と叫びたい
ニッケイ新聞 2012年7月7日付け 護憲革命で連邦軍が近づき、東山農場内に陣地をはっていたサンパウロ州軍がカンピーナス市方面に後退した時、興味深い光景がくり広げられた。山本喜誉司が書いた『農場で見
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第1回=学生のアイデアで誕生=札幌から全国、海外へ
ニッケイ新聞 2012年7月7日付け 鳴子を手に「ソーラン」と掛け声を響かせ、色とりどりの衣装で踊るYOSAKOIソーラン。美容院「SOHO」の創始者・飯島秀昭氏が仕掛け人となり大会を開催して以来、
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ラーメン文化の普及を目指し=MNプロポリス社会長 松田典仁=第1回=ラーメンのブラジル導入
ニッケイ新聞 2012年7月7日付け 連載にあたり サンパウロ市にラーメン店舗が開店され、早いものでもう約10年、ここの人々の心をつかみ、好んでラーメンを食べ、ハシとレンゲを使い、麺とスープを一緒に
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山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(3)=ヅットラ大統領との奇縁
ニッケイ新聞 2012年7月6日付け 1930年3月、長女・謡子が腸チブスで亡くなったことが、山本に永住を決意させる一因となった。「父は最初、農場経営のために一時滞在のつもりで来た」と坦はいう。山本
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山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(2)=銃雨の中で日伯旗立てる
ニッケイ新聞 2012年7月5日付け 東山農場を挟んで両軍が対峙したその時——。 【9月27日=本部に據(よ)れる(サンパウロ州軍)一隊午後9時退却、本部の前方1キロメートルにある牧草地Anhuma
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山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(1)=東山挟んで撃ち合いに
ニッケイ新聞 2012年7月4日付け 「今回語ったことの多くは、家族しか知らなかったことです」。2時間半にわたる取材の最後に、山本喜誉司(1892—1963、東京)の二男のカルロス坦(たん、88、北
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第9回(最終回)=更なるブラジル進出はあるか=法的整備も今後の課題
ニッケイ新聞 2012年6月26日付け 【久慈】日本の企業はあんまり見てない。「ブラジル? アマゾン?」って人まだいますよ。『すき家』『キッコーマン』も先見の明がある。他のメーカーなんか市場と認識す
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第8回=辻調理師専門学校のレストランとは=本物伝えるのは〃大義〃
ニッケイ新聞 2012年6月23日付け 【久慈】NYでオープンしたばかりのレストラン「ブラッシュ・ストローク」は辻調理師専門学校がNYの高級フランす料理店「ブーレイ」と組んで作った懐石専門店。140