連載
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日本に戻るか定住か=デカセギ大量帰伯世代=(3)=「母弟を呼び寄せたい」=ワケありの父とイジメ
ニッケイ新聞 2012年6月16日付け 「私がこっちで頑張って受け入れ態勢をつくり、日本にいるお母さんと弟を早く迎えに行きたいんです」。2月初めにミナス・ジェライス州都ベロ・オリゾンテ市であった日本
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第2回=ブラジル独自の戦略は=米国とヨーロッパの違い
ニッケイ新聞 2012年6月15日付け —「キッコーマン」の世界戦略では、非醤油圏と醤油圏に分けると聞きました。ブラジルは西洋文化圏ではあるけれども、日系人が多いがために醤油文化、もちろん酒文化もあ
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日本に戻るか定住か=デカセギ大量帰伯世代=(2)=金融危機で派遣会社廃業=「日本式サービス広めたい」
ニッケイ新聞 2012年6月15日付け 以前から日本で貯めた資金を元手に、帰伯後に事業を始める人は多いが、軌道に乗らず断念して再訪日するケースも少なくなかった。08年からの大量帰伯時代には、新しい種
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第1回=醤油、牛丼、日本酒の雄に=市場開拓現場の声を聞く
ニッケイ新聞 2012年6月14日付け 日本食ブームと言われて久しい。高級なものからテマケリアといった手軽なものまで広がり、2006年にはブラジルの伝統料理を供するシュラスカリアの数を日本食レストラ
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日本に戻るか定住か=デカセギ大量帰伯世代=(1)=「直ぐにでも戻りたい」=現在も残る未練と迷い
ニッケイ新聞 2012年6月14日付け 2008年暮のリーマンショックに端を発した金融危機の影響で、日本に住むブラジル人労働者が「派遣切り」に遭い、3分の1にあたる約10万人が帰伯したといわれる。そ
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国家事業救った8人の侍=知られざる戦後移民秘話=最終回=現場に必要なのは責任感=ブラジル社会に溶け込んだ人生
30年前の1982年11月5日正午、ブラジル大統領ジョアン・フィゲレード、パラグアイ大統領アルフレッド・ストロエスネルが完成したばかりの堤体の頂上部を両国側から歩み寄り、そぼ降る雨の中を水門の始動ボ
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国家事業救った8人の侍=知られざる戦後移民秘話=第6回=「まだ帰っちゃいかん」=新たな特命、ダム本体も
ドゥーーン。腹に響く爆破音が現場に響いた。仮排水路の上流側と下流側の入り口の壁を爆破した音だ。すごい勢いで水が入り込み、一気に20メートルの高さまで水位が上昇した。おかげで浚渫船が激流に流されて沈没
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国家事業救った8人の侍=知られざる戦後移民秘話=第5回=「あれしかない」秘策考案=世界初のスライド型枠工法
〃8人のサムライ〃の先陣となった二人がイタイプーの現場に呼ばれたのが78年4月。この時点で工事の進捗状況はわずか5%。それから雨季が始まる10月までに仮排水路を完成させろという不可能に近い特命だった
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国家事業救った8人の侍=知られざる戦後移民秘話=第4回=国家の命運掛けた大工事=植木動力大臣が特別任命
日本の高度経済成長は1955年から石油ショックが起きた73年まで20年近く続いたが、ブラジルでは68年から73年までの5年間だった。年率10%以上の経済成長を記録したその期間を〃ブラジルの奇跡〃と呼
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『子供移民 大浦文雄』を読む=モジ 則近正義=第6回
ニッケイ新聞 2012年5月30日付け 大浦君は、92頁に《我が人生に悔いなし》と書いているし、最終頁にも《悔いのない生き方をしてきた》とあるが、僕は彼とは反対に悔いだらけの人生だった。それについて