連載
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(8)=〃ブンカ〃入植者子孫も=米国排日運動の影響強く
ニッケイ新聞 2012年4月24日付け パラグァスー・パウリスタ文協の会員数は約100家族。会長8年目の佐々田アントニオさん(42、三世)の歓迎の言葉で交流会は幕開けし、食事を交えた歓談が始まった。
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(7)=ピラチニンガ温泉でのんびり=旅の疲れをひととき癒す
ニッケイ新聞 2012年4月21日付け 2日目の4月1日の朝8時。早々に起きて朝食を済ませた一行はホテルをチェックアウトし、バウルー近くの次の目的地「ピラチニンガ温泉」へ向けて出発した。 約30分
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(6)=戦前の思い出に花咲かせ=同船者と53年ぶりに
ニッケイ新聞 2012年4月19日付け 『歩み』によれば、バウル—に領事館が設置されたのは1921年1月。28年には市内に22家族、30年には34家族が住み、31年頃から日本人植民者が棉栽培のため借
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(5)=ノロエステの開拓起点へ=合同で先没者追悼法要も
ニッケイ新聞 2012年4月18日付け 午後3時半頃、交流を終え恒例の「ふるさと」を合唱し、握手で別れを惜しんだ一行。長田さん夫妻の梅干や梅酒に目を留めて購入したり、個別に話をしたりしながらバスに乗
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(3)=戦後発展したコロニア=梅の産地として名馳せる
ニッケイ新聞 2012年4月14日付け 現在の同地コロニアのもととなる「コロニア・サンタマリーナ」が近郊にできたのは戦後、1950年代のこと。 全国の農村青年の教育や指導者育成を目的に戦前に設立さ
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(4)=半世紀ぶりの再会で笑顔=地元コロニアの将来憂う
ニッケイ新聞 2012年4月17日付け 会場では坂手実さんの説明の後、婦人部の皆さんが着物を着て「花笠音頭」を披露する傍ら、あちこちで再会や交流の輪が広がっていた。 ふるさと巡りに約5年前から毎回
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(2)=ボ婦人部の手料理に舌鼓=坂手実さんが移住史語る
ニッケイ新聞 2012年4月13日付け 学生寮を出発したバスには、UNESP農学部元学部長の中川ジュリオさん(77、二世)が乗り込み、マイクを片手に当地の日系人について説明。現在同市には250〜30
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〜OBからの一筆啓上〜住めばパライーゾ=小林大祐(元ニッケイ新聞記者)
ニッケイ新聞 2012年4月12日付け 「縁がないだろう」。記者時代サンパウロ市に住んでいたとき、そう思っていた土地の筆頭がリオ・グランデ・ド・ノルテ州であった。振り返れば当時、間接的だが、同州と接
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(1)=全伯から122人が参加=ボツカツ日伯学生寮を見学
ニッケイ新聞 2012年4月12日付け 「名前はよく聞いていたけど、ここにもこんなに日系人がいるのね」—。参加者の一人はバスに乗り込みながら、感慨深げにそう漏らした。ブラジル日本都道府県人会連合会(
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最終回=世界を南米から見る視点
ニッケイ新聞 2012年4月6日付け ■邦字紙が続くことの意味 【深沢】=まったく違う東洋文明から来た日本移民と、同じ西洋文明であるイタリアから来た移民というのは、かなり適応への難易度が違かったんじゃ