連載
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アマゾン90年目の肖像=「緑の地獄」を「故郷」に=(3)=早すぎた母との死別と結婚
山田元さんは、13歳の頃から父義一が作った精米所に通い、水車を回していた。精米は年に千俵。細い体だが、「自慢じゃないけど、あの頃は1人で1俵60キロを担いだんだ」。 それを馬車に5~6俵積み、3~
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アマゾン90年目の肖像=「緑の地獄」を「故郷」に=(2)=山田家を次々に襲う病魔、事故
山田元さんは、日に焼けた細い体を杖で支えながら歩く。ゆっくりと歩く足の両膝関節は間が開き、ひどく曲がっている。「足が曲がったのも無理ないんですよ」と元さんは苦笑する。 「赤ん坊の頃、母親が朝から晩
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アマゾン90年目の肖像=「緑の地獄」を「故郷」に=(1)=唯一の第一回移民、山田元さん
1929年9月22日、42家族、単身者9人の189人(トメアスー開拓70周年記念史より)がトメアスー移住地(旧アカラ植民地)に入植した。それから90年が経った今年、アマゾン日本人移住90周年祭を控え
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県連故郷巡りカリフォルニア=150周年、満砂那(マンザナー)に平和を祈る=《24・終り》
「砂漠に畑、そこが日本人らしい」 コルマ日本人共同墓地に、たまたま墓参に来ていた安田千益子さん(ちえこ、82、東京)に話を聞くと、ここは加州日本人慈恵会が管理し、「宗派を問わず、今でも日本人がなくな
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県連故郷巡りカリフォルニア=150周年、満砂那(マンザナー)に平和を祈る=《23》
桑港にある現役日本人墓地 翌4月15日、一行は有名な金門橋やツインピークスを観光。一行の磯順代さん(いそ・じゅんよ、80、福島県)は、第50回を数える故郷巡りの第13回からほぼ全回参加している最古参
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県連故郷巡りカリフォルニア=150周年、満砂那(マンザナー)に平和を祈る=《22》
日本と歴史的繋がり強い桑港 北加鹿児島県人会の木村耕蔵会長は「北カルフォルニアと日本との歴史的な繋がりは強いです」と歴史的な事実を次々に挙げた。 まず江戸時代の1860年、日米修好通商条約の批准書
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県連故郷巡りカリフォルニア=150周年、満砂那(マンザナー)に平和を祈る=《21》
県人会交流、見れなかった桜祭り 長澤鼎(かなえ)はブドウ農場を加州10大ワイナリーのひとつにまで育て上げ、熱心に研究して高品質な製品を作り、英国へ輸出された最初のカリフォルニア・ワインとなった。
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県連故郷巡りカリフォルニア=150周年、満砂那(マンザナー)に平和を祈る=《20》
最初の鹿児島県人は加州ワイン王 4月14日(日)、ベーカーズフィールドのヒルトン経営ダブルツリーホテルを朝8時にバスは発ち、2時間ほど北上してフレズノの町に着く。州南部のロスと、北部の
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県連故郷巡りカリフォルニア=150周年、満砂那(マンザナー)に平和を祈る=《19》
4月13日(土)、一行はベーカーズフィールドのホテルからヨセミテ国立公園に観光に向かった。標高1200メートルの高原にあり、気温は10度。両側を山に囲まれた谷間で、残雪が残るつづら折りの下り坂を降り
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県連故郷巡りカリフォルニア=150周年、満砂那(マンザナー)に平和を祈る=《18》
一行の一人、高良シゲオさん(67、二世、サンパウロ市)は10年前に映画『Adeus a Manzanar』(原題Farewell to Manzanar 1976)を見て深い感銘を受け、いつかマンザ