連載
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第4回=閉鎖的なポルトガル人と社交的なブラジル人
ニッケイ新聞 2012年3月24日付け 中山雄亮(ゆうすけ、31、東京) 東京外大スペイン語卒。06年に外交官補としてポルトガルで研修、08年からモザンビーク大使館で3年にわたり政治・経済と広報・文
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(下)=徳永さん「施設はいいが医者は…」=根塚ホーム長「全く問題ない」
ニッケイ新聞 2012年3月24日付け 徳永さんは、イヴァン医師がモジの病院の担当医と話して「訴訟をやめさせたのでは」と推測している。同医師に本紙がそれを質問したところ、「手術した医師とは単なる仕事
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(中)=食い違う両者の〃証言〃=医師「ホームは病院じゃない」
ニッケイ新聞 2012年3月23日付け 緊急入院2日後の1月27日早朝、医者から右足の切断を宣告された。「何とか避けられないか」という徳永さんに対し、医者は「足を切らなかったら、毒素が体中にまわって
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第3回=北東伯から南に拓けていった歴史
ニッケイ新聞 2012年3月22日付け 小林雅彦氏(57、大阪)= 東京外大ポ語卒。ポルトガル大使館への勤務経験は2年間。1985年外務省に入省。87年から91年までポルト・アレグレ、91年から96年
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(上)=対応に憤る徳永さん=「足が真っ黒になった」
ニッケイ新聞 2012年3月22日付け 「誰かの責任を問いたいわけではない。ただ手遅れの状態まで放っておかれたのが悔しい」—。そう無念そうに語るのは、徳永典子さん(62、福岡)=サンベルナルド・ド・
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第2回=独自性模索した20世紀初め
ニッケイ新聞 2012年3月21日付け 岸和田仁(ひとし、59、東京) 東京外大ポ語卒。食品会社駐在員として、ブラジルにはノルデスチを中心に通算19年間住んだ経験がある。日本ブラジル中央協会の理事に
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第1回=原点はインディオ、ポルトガル、黒人
ニッケイ新聞 2012年3月20日付け 私達が住む「ブラジル」が現在のような多文化が入りまじった形になったのは、どのような経緯からか。移民はその文化形成にどんな役割を果たしているのか。そして、ブラジ
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ブラジル初の邦字紙創刊・星名謙一郎に育てられた孤児=住沢泰美さんに素顔聞く=(下)=植民地内の評価は二分=「訃報は〃解放〃だった」
ニッケイ新聞 2012年3月17日付け 栗林さんは「星名の周りには用心棒が沢山いた。特に星名と同棲していたお玉さんの弟の毛利伊三さんは『兄貴、兄貴』と呼んで慕っていた」とし、「植民地での星名の評価は
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ブラジル初の邦字紙創刊・星名謙一郎に育てられた孤児=住沢泰美さんに素顔聞く=(中)=ハワイで人殺しの過去!?=家族を日本に残して渡伯
ニッケイ新聞 2012年3月16日付け 星名謙一郎は明治元年から遡ること2年、1866年(慶応2年)に愛媛県伊予吉田(現在北宇和郡吉田町)の宇和島藩士族の長男として生まれた。83年には東京英和学校、
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ブラジル初の邦字紙創刊・星名謙一郎に育てられた孤児=住沢泰美さんに素顔聞く=(上)=「怖い顔しか覚えてない」=新聞創刊と植民地開拓
ニッケイ新聞 2012年3月15日付け 奥ソロカバナ線アルバレス・マシャードの日本人墓地の白い御堂の隣には、星名謙一郎(1866〜1925)の墓石が立っている。ブラジル初の邦字紙、週刊『南米』を創刊