連載
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第17回 =挙県体制とメディア連携=大会誕生の経緯を探る
ニッケイ新聞 2011年12月20日付け 大会誕生の内幕には諸説あるが、84年から琉球新報が世界のウチナーンチュを紹介する500回もの長大な連載をしたのが契機だったようだ。 さらに沖縄テレビでは前
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第16回=ペリー来航が歴史の分岐点=琉球独立図った米国政府
ニッケイ新聞 2011年12月17日付け 沖縄県の近代史をめくると、その最初には「ペリー来航」が記されているが、実は、本土の歴史とは少々違う。 通常は1854年に7隻の軍艦を引き連れて横浜沖に迫り
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第15回=逆遠隔地ナショナリズム=海外に学べとの掛け声
ニッケイ新聞 2011年12月16日付け 前節で見てきたように沖縄県では方々で「海外には〃明治の沖縄〃が残っている」との言葉を聞いた。海外県系人がウチナー意識を継承している姿をみて、母県側の市民は自
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第14回=母県が失った何か南米に=〝明治の沖縄〟と肝心
ニッケイ新聞 2011年12月15日付け 父が臣道聯盟員だった保久原淳次さん、父が勝ち組だった玉木さんは、親を通して〃明治の沖縄〃を引き継いでいる。二人に共通するのは、国や郷土を愛する想いが親に強か
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第13回=ご真影踏まず〃島送り〃=故郷でやり直した戦勝帰国者
ニッケイ新聞 2011年12月14日付け 「日本が勝っていると信じて、父は終戦後の1954年、20歳だった私を連れて沖縄に帰ってきました」。那覇市内の青年会館で10月15日晩、ブラジル沖縄協会と沖縄
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第12回=明治の精神を持つ県系人=ルーツ意識深める二世ら
ニッケイ新聞 2011年12月13日付け 「ここはお国を何万里、はなれて遠きブラジルの、赤い夕日に照らされて、友は野末の石の下」。そんな「戦友」の替え歌が戦前移民の間ではよく歌われていた。夢に見る故
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第11回=沖縄方言で胸を張る=ルーツ目覚めるブラジル二世
ニッケイ新聞 2011年12月10日付け ブラジル最大手エスタード紙の論説委員、保久原ジョルジ淳次さん(65、二世)は息子を連れて世界のウチナーンチュ大会に初参加した。 彼は今年の講演会で「4年前
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第10回=特異なブラジル県人会=戦後移民の多さが特徴
ニッケイ新聞 2011年12月9日付け ブラジル日本都道府県人会連合会には、おそらく世界で唯一、47県全てが揃っている。米国にも多くの県人会があるが、地域ごとに活動しており、全国規模でまとまった連合
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第9回=南米各国で存在感示す=沖縄県系が約7割は普通
ニッケイ新聞 2011年12月8日付け 「ぺルーの日系団体で一番大きいのは沖縄県人会、でも全体を統括しているのはペルー日系人協会です」。首都リマで旅行社を経営する玉城ルイスさん(76、二世)は、そう
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第8回=ニューカレドニア=敗戦で出自を封印した子孫=「沖縄の家」で活性化へ
ニッケイ新聞 2011年12月7日付け 移民史研究家の津田睦美さんはNC県人会の誕生を記述する一文をこう締めくくる。 《日本人の血をひくということだけで差別の対象になった時代、日本人の父親に対する