連載
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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《5》=解散危機もあったオキナワ=入植55周年のサンフアンへ
ニッケイ新聞 2010年10月27日付け オキナワ第一移住地での交流を終えると、一行はバスで約40キロ離れた第二移住地へ。舗装道路は一転し、砂埃が視界をふさぐ土道だ。第二のヌエバ・エスペランサ校(島
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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《4》=日本人でもアメリカ人でもなかった=入植56年、いま「住みやすい」
ニッケイ新聞 2010年10月26日付け 16歳でうるま植民地へ入った比嘉さん。「とにかくひもじかった」と入植当時を思い出す。「再訪した人に『先見の明があった』と言われたけど、金がなくて出られなかっ
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日本語教育リレーエッセイ=《2》=2番目のマイホーム=川畑暁美
ニッケイ新聞 2010年10月23日付け 私はピラール・ド・スール日本語学校の卒業生です。学校とのつながりは私が3才の時からです。 最初はもちろん他のどの子供と同じように遊んでばかりいて、いたずら
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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《3》=オキナワ=焼畑、綿から「小麦の都」に=西・日語教える日ボ学校
ニッケイ新聞 2010年10月22日付け 会館で休息後、一行は隣接する「コロニア沖縄農牧総合協同組合(CAICO)」を訪れ、工場長の親川ウーゴさん(47)から説明を受けた。 焼畑による陸稲、トウモ
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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《2》=もう一つのオキナワへ=移民襲った「うるま病」
ニッケイ新聞 2010年10月21日付け 2日目に訪れたオキナワ移住地は1998年に政府から行政区として制定された、日本国外で唯一「オキナワ」の名を冠した自治体だ。第一から第三まであり、全体をあわせ
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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《1》=最大都市サンタクルスへ=サンフアン、オキナワを訪問
ニッケイ新聞 2010年10月20日付け ブラジル日本都道府県人会連合会(与儀昭雄会長)による「第34回移民のふるさと巡り」が7日から12日まで実施された。国内各地の日系人ゆかりの地を巡る同旅行。今
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日本語教育リレーエッセイ=第1回=遺産=元ドウラードスモデル校=平田清美
ニッケイ新聞 2010年10月16日付け 「JICA派遣生徒本邦研修がなくなるかもしれない」との噂を聞いた時、寂しさと共に自分の無力さを実感しました。もちろん、現段階ではあくまで噂であり、そうなって
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日本の俳優が臣道聯盟の映画に=連載《下》=「パンドラの箱開ける」
ニッケイ新聞 2010年10月2日付け 総予算は800万レアル、監督が非日系で、セリフの7割が日本語という異色のブラジル大作映画『コラソンエス・スージョス(国賊)』の主人公は、カメラマンのタカハシだ
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日本の俳優が臣道聯盟の映画に=連載《上》=常盤貴子や余貴美子出演=森脇氏に当時の様子聞く=撮影終了、4月公開へ
ニッケイ新聞 2010年10月1日付け 来年4月公開予定で、臣道聯盟の歴史を背景にした話題の映画『コラソンエス・スージョス(国賊)』に出演するために、常盤貴子や余貴美子などの日本の有名女優らが来伯し
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日本航空運休に捧げる投稿=〝一抹の淋しさ〟=石崎矩之(元旅行代理店勤務)=(下)=「またぜひ帰ってきて」
ニッケイ新聞 2010年9月25日付け 1978年に日本航空がいよいよ定期路線化した当時、まだサンパウロのグアルーリョス空港はプロジェクトの時代で出来上がっておりませんでした。 一方、コンゴーニャ