連載
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ブラジルの風が運んだサヨナラ本塁打=高校球児=奥田ペドロ=(下)=次の舞台はベネズエラ
ニッケイ新聞 2010年2月18日付け 「あいつらが甲子園のグラウンドで野球をしているなんて夢のよう」(須長三郎)。2年生だった一昨年の夏、奥田ペドロと伊藤ディエゴを擁して初の甲子園を戦いぬいた本庄
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ブラジルの風が運んだサヨナラ本塁打=高校球児=奥田ペドロ=(中)
ニッケイ新聞 2010年2月16日付け 「夢はプロ野球選手だった。本当は日本でもアメリカでもどっちでも良かった」。甲子園を現実的な目標とするブラジル球児が多い中、当初から奥田ペドロのプロ志向は高かっ
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ブラジルの風が運んだサヨナラ本塁打=高校球児=奥田ペドロ=(上)=「ママイ、元気になって」
ニッケイ新聞 2010年2月13日付け 2008年8月5日。日本移民百周年の記念すべき節目の年に高校野球の聖地に立ったひとりの日系三世が、ド派手なフェスタを演出した。 本庄一(埼玉)の応援団で埋め
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日伯論談=テーマ「日伯経済交流」=第37回=檀上誠=日本経済新聞社サンパウロ支局長=広がり欠く?ブラジルへの熱視線
2010年2月13日付け 私事で恐縮だが、今年の年賀状にはオリンピック招致が決まった瞬間のコパカバーナの写真を使った。飛び交う紙吹雪、喜びに沸く若者たち――。昨今のブラジルの勢いを象徴するような光景
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二世とニッポン語問題=―コロニアの良識にうったえる―=アンドウ・ゼンパチ=第4回=二世の人間像形成
ニッケイ新聞 2010年2月12日付け それにもかかわらず、二世の人間像についての研究は、まだ、手がつけられていない。今日までにも、二世について、いろいろ論議されてはいるが、二世の性質や考え方などの
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二世とニッポン語問題=―コロニアの良識にうったえる―=アンドウ・ゼンパチ=第3回=〝ニッポン〟を伝える日本語
ニッケイ新聞 2010年2月11日付け ニッポン語教育の根本目的は、二世とは何か、また、コロニアにとってどうあるべきか、ということが、はっきりきめられていないと、正しくつかまれない。二世は、一世にと
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二世とニッポン語問題=―コロニアの良識にうったえる―=アンドウ・ゼンパチ=第2回=母国敗戦と日語教育の変質
ニッケイ新聞 2010年2月10日付け いわゆるニッポン語問題は、今始ったものではなく、以前からもコロニアの大きな問題として、つねに関心をもたれてきたものであるが、戦前の外国語教育が、わりに自由であ
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二世とニッポン語問題=―コロニアの良識にうったえる―=アンドウ・ゼンパチ=第1回
ニッケイ新聞 2010年2月9日付け 52年前、1958年のブラジル日本移民50周年の折にアンドウ・ゼンパチさん(1900―1983、本名=安藤潔、広島)が発表した『二世とニッポン語問題~コロニアの
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日伯論談=テーマ「日伯経済交流」=第36回=岸和田仁=前ニチレイサンパウロ社長=ノルデスチ灌漑農業の現場から考える
2010年2月6日付け 「俺の名はセヴェリーノ 名字などない」という書き出しの詩劇『セヴェリーノの死と生』をジョアン・カブラル・デ・メロ・ネトが発表したのは1955年であったが、ノルデスチのヘチラン
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日伯論談=テーマ「日伯経済交流」=川上オズワルド=在日ブラジル商業会議所会頭=伯日は世紀のパートナー
2010年1月30日付け 一昨年、我々はブラジル日本移民百周年記念を祝ったが、両国の通商交流はパリで「日伯修好通商航海条約」が調印された1895年に遡る。それ以降、500社以上の日本企業がブラジルに