連載
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【モンテアレグレ編】=最終回=アマゾン見守る古代壁画=絶品! 鎧ナマズの妙味
ニッケイ新聞 2009年12月8日付け 下から見たところ、単に岩がむき出した丘のようだ。急斜面を這いつくばるように登っていく。息は切れるが安心だ。おそらく、世界で最も新鮮かつ良質で濃い酸素が充満して
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【モンテアレグレ編】=第7回=悪路、移住地への道は今も=入植3カ月で命絶った農大生
ニッケイ新聞 2009年12月5日付け 翌朝、アマゾン川沿いに立つ小さな市に出掛ける。野菜などの種類はサンパウロと比べるべくもないが、見たこともない薬草や魚が楽しい。 「キュウキュウ」と鳴き声を立
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日伯論談=テーマ「日伯経済交流」=第29回=横田パウロ=元ブラジル中銀理事=激しい攻勢かける諸外国勢
2009年12月5日付け 日伯関係を論じるよう招かれたのは名誉なことですが、それが難しい課題であることを実感しています。日本移民百周年の記念行事や、エネルギー分野の共同研究を進める両国の提携をうけ、
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【モンテアレグレ編】=第6回=風に吹かれ、延びる滞在=アカリと壁画に魅せられ
ニッケイ新聞 2009年12月4日付け モンテアレグレ取材は、当初0泊2日の予定だった。 サンタレンから飛行機はあるのだが、定期便がないため、何人か集める必要がある。 限られた取材費では一人貸し
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【モンテアレグレ編】=第5回=高谷信夫・和夫兄弟=絶ち難い〃古里〃への思い=新たな挑戦、農場経営も
ニッケイ新聞 2009年12月2日付け バナナの皮の草鞋、タイヤの草履で日々を過ごし、移住地から市街地へは週1回トラックが往復するのみ。それも雨季になると、頼りにはならなかった。 当時は移住地にダ
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【モンテアレグレ編】=第4回=高谷信夫・和夫兄弟=「ここにいたら殺される」=アマゾンで続いた〃戦後〃
ニッケイ新聞 2009年12月1日付け モンテアレグレへの移民は、市街地から北に15キロの地点、サンタローザにあった海協連の種苗園(元南拓の土地)、さらに7キロ北上し、東に10キロ入ったアサイザール
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【モンテアレグレ編】=第3回=踏ん張る唯一の農大生=大竹秋廣さん=「農業に適していない」
ニッケイ新聞 2009年11月28日付け 「農大生は自分一人になっちゃった。淋しいですよ」。現在も営農を続ける大竹秋廣さん(64、静岡)は、空港のそばにある瀟洒な自宅で、そう語った。 かつてはサン
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日伯論談=テーマ「日伯経済交流」=第28回=ブラジル日本商工会議所会頭=田中信=日伯経済交流の変遷
2009年11月28日付け 昨年はブラジル日本移民100周年を迎えました。この100年を日伯経済交流から見ると、最初の50年は主として人力をもって日本移民がブラジル農業の発展に地味だが大きな役割を果
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【モンテアレグレ編】=第2回=大久保喜代子さん=「貧乏のどん底だった」=日本には一度も帰らず
ニッケイ新聞 2009年11月27日付け モンテアレグレの市街地はいわゆる上町(シダーデ・アルタ)と下町(シダーデ・バイシャ)に分かれている。高谷さんの運転する車でホテルに向かい、とりあえず旅装を解
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【モンテアレグレ編】=第1回=アマゾン最古の移住地=戦前移民はほぼ残らず=南拓耕地は35年に廃止
ニッケイ新聞 2009年11月26日付け アマゾンの二大都市、ベレンとマナウスのほぼ中間にある町、サンタレン。そこから下流に約130キロの地点に、モンテアレグレがある。アマゾン日系移住地としてはアカ