連載
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県連ふるさと巡り=アマゾン80周年式典へ=過去最多の211人参加=連載《5》=マナウス=活気溢れる成長都市=慰霊碑に花たむける
ニッケイ新聞 2009年11月5日付け 西部アマゾンの中心地マナウス。1669年にポルトガル人によって開かれ、19世紀後半にゴム景気を謳歌したこの町は、1967年のゾナ・フランカ(免税地域、Zona
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県連ふるさと巡り=アマゾン80周年式典へ=過去最多の211人参加=連載《4》=ベレン=平和劇場や市場を散策=「二、三世の時代ですね」
ニッケイ新聞 2009年11月4日付け ベレン滞在3日目も午前中、平和劇場(Teatro da Paz)へと向かった。道すがら、栃木県人会長の坂本アウグスト進さん(64)と話す。 終戦直後1945
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県連ふるさと巡り=アマゾン80周年式典へ=過去最多の211人参加=連載《3》=「世代交代の節目に」=ベレンでアマゾニア祭り
ニッケイ新聞 2009年10月31日付け マンゴー並木が延々と続くアマゾン河口の港町ベレン。19世紀中頃から20世紀前半にかけてゴム積出港として栄え、今は人口150万人を有する東部アマゾンの中心都市
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【アマパー編】=《終》=「作っても盗まれる」=バイシャーダからの退去命令
ニッケイ新聞 2009年10月31日付け 「トマテなんかもね、青枯れ病を防ぐために自生するジュルベバ(ナス科の植物)を植えて、それに接木するとよくできるんですよ。一日に500キロを収穫したこともあり
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県連ふるさと巡り=アマゾン80周年式典へ=過去最多の211人参加=連載《2》=次々に旧友と再会=ここから巣立った
ニッケイ新聞 2009年10月30日付け 9月16日、トメアスー入植80周年式典当日の朝、第一回移民が到着した桟橋へ出かけた。ホテルから5分ほどの距離。ちょうど一隻の船が停まり、野菜や海老などの食品
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【アマパー編】=《4》=柴山さん「日本は希望なかった」=第2回マタピー移民=柴山満義・須美枝兄弟=肥沃な川沿いで野菜作り
ニッケイ新聞 2009年10月30日付け 「1946年に今の北朝鮮から、38度線を越えて一カ月歩き通しで引き揚げて、無一文でしょう。学もないし、日本に基盤がないから、将来に希望がもてなかったですよね
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県連ふるさと巡り=アマゾン80周年式典へ=過去最多の211人参加=連載《1》=現地と喜び分かち合う=トメアスーで前夜祭
ニッケイ新聞 2009年10月29日付け ブラジル日本都道府県人会連合会(県連、与儀昭雄会長)主催の「移民のふるさと巡り」が9月15日から21日まで実施された。32回目となる今回の訪問地は、移住80
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【アマパー編】=《3》=「移住政策は調査不足」=第1回マタピー移民=尾形慎也さん=人生変えた出会い
ニッケイ新聞 2009年10月29日付け 「文句いう訳じゃないけど、はっきり言って調査不足。送り出した日本、受け入れたブラジル両政府が本当のことを言わなかった」 個人的な意見としながらも、アマパー
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【アマパー編】=《2》=第1回マタピー移民=真田美鈴・広美姉妹=父・忠平さん(92)も健在=今も守る3本の矢の教え
ニッケイ新聞 2009年10月28日付け パラー州から分割され、アマパーが連邦直轄区になるのは1943年。その後、50年代にマカパーから西北約200キロのセーラ・ド・ナヴィウでマンガン鉱が発見され、
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【アマパー編】=《1》=元グアマ移民、三島利幸さん=巡り巡ってマカパーへ=「暑さ除けば、いい所」
ニッケイ新聞 2009年10月27日付け 赤道直下にあるアマパー州(州都マカパー)。アマゾン河口に浮かぶマラジョー島を挟んだベレンの対岸にあり、1988年に連邦直轄領から州に昇格した人口60万の小さ