連載
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【パリンチンス/ヴィラ・アマゾニア編】=《2》=マリアさん「パパイは高拓生」=現地に残る「赤とんぼ」の旋律
ニッケイ新聞 2009年7月4日付け 一九二六年。アマゾナス州政府の招待を受け、マナウス市を公式訪問した田付七太・在ブラジル全権大使は、エフィジェニオ・サーレス州知事から、百万町歩の無償譲渡を申し入
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日伯論談=第9回=ブラジル発=宮尾進=デカセギの共生組織化に期待する
2009年7月4日付け 「デカセギ」をめぐってこの論壇で、第六回までの各氏の発言を読ませてもらった。 これまでの私の「デカセギ」に関する知識は、いろいろなメディアに報じられた非行や犯罪などに偏向し
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【パリンチンス/ヴィラ・アマゾニア編】=《1》=武富会長「日本人の歴史残したい」=八紘会館再建への夢=9月にはジュート記念碑建立も
ニッケイ新聞 2009年7月3日付け 奇祭と呼ばれるアマゾンのカーニバル「ボイ・ブンバ」で世界的に有名となったパリンチンス。六月末には多くの観光客が訪れる町だが、かつてアマゾン経済を潤したジュート(
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スローフード体験記=マンジャーレな一日=連載《下》=森林浴でキノコ三昧=米村さん「椎茸広める機会になった」
ニッケイ新聞 2009年7月2日付け 米村さん所有の林。曇天のひんやりした空気が心地よい。一直線に並んだテーブルと椅子。その両側に点在する井桁に積まれたほだ木がアート的な世界を生み出す野外レストラン
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スローフード体験記=マンジャーレな一日=連載《上》=レストラン経営サウロさん=「新食材の普及を」=モジ椎茸農家を訪ねて
ニッケイ新聞 2009年7月1日付け 【スローフード】伝統的な食生活を見直し、農業者を守り、消費者の食に対する意識を高める啓蒙運動。日本では広義に有機農法による食材を指すこともある。八〇年代にイタリア
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ADESC婦人、ボリビアへ=連載(4・終)=オキナワ移住地=デイサービスでふれあい=同地婦人と料理交流も
二十八日はさらに寒く、気温十四度。朝食後すぐに、一行はコロニア沖縄農牧総合協同組合(CAICO)でのセミナーに参加した。 一九七一年に創立したCAICOは第一、第二、第三移住地を包括し百二十三人の
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日伯論談=第8回=日本発=今が試練の時=日系リーダー誕生に期待=高橋幸春
2009年6月27日付け ブラジルで暮らしたのはわずかに三年だけだったが、その間に日系三世と結婚した。 妻の祖父が戦前、一度だけ日本に帰国していたが、祖父以外に移住後、日本の土を踏んだ者は家族にも
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ADESC婦人、ボリビアへ=連載(3)=日本国外唯一の〃オキナワ〃=今年で入植55周年
訪問旅行の一行が乗るバスは、二十二席しかない小型バス。二十三人のうち、いつも誰かが座れない。しかし、それでもボリビアでは一番いいバスを借りたのだとか。 オキナワ第一移住地で、ADESCは三グループ
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ADESC婦人、ボリビアへ=連載(2)=サンフアンからサ・クルスへ=草分け入植は95年前
旅行三日目の五月二十七日、朝から雨で肌寒い。同地では長い間雨が降っておらず、移住地の農協組合員たちにとっては待ち望んでいた雨だったようだ。 ADESCの一行は早速、サンタクルス市内の観光へ向かった
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ADESC婦人、ボリビアへ=連載(1)=婦人セミナーが繋いだ交流=ボ国3カ所、5日間の旅
農協婦人部連合会(ADESC、内海千代美会長)の二十二人が先月二十五日からボリビアを訪れ、同国日系コロニアとの交流、現地視察の旅行を行なった。ADESCはこれまでにパラグアイを二度訪れており、今回が