連載
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベラ・ビスタ編】=第3回=石崎矩之さん「絶望だった」=4俵蒔いて、収穫7俵=〃消えた〃携行資金
ニッケイ新聞 2009年6月10日付け 「絶望でした」――。第二陣として一九五四年六月に入植した石崎矩之さん(74、熊本)は当時の心境を回顧する。 「何を植えてもほとんど芽が出ない。出ても数日で枯
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次の百年戦略のために=~日系社会とは何か~=第1部《世界史の視点から》(9)=団結せよ、サンパウロ州日系団体=サンパウロ市は日系文化発信拠点
ニッケイ新聞 2009年6月9日付け 五百万人の外国人移民が入ったブラジルの中でも、サンパウロ州はその半分が入った最大の移民州だ。 サンパウロ州立移民記念館の資料によれば、サンパウロ州に入った外国
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベラ・ビスタ編】=第2回=「ここは監獄」逃げ出す移民ら=日本政府は渡航の援助のみ=〃棄民〃政策の最前線
ニッケイ新聞 2009年6月9日付け 昼なお暗い密林のなかに伸びた道にホエザルの叫び声が響く。両側に等間隔で打ち込まれた杭だけが自分の土地の印だった。 渡航契約時、「家もあり、伐採も済んでいる」と
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連載=アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベラ・ビスタ編】 第1回=野地忠雄さん「出るに出られん」=ペルー生まれ、米国強制収容も
ニッケイ新聞 2009年6月6日付け 雨季もほぼ終わりの四月下旬、アマゾナス州マナウスを訪れた。ラ・ニーニャ現象の影響もあり、アマゾン流域は大増水。「百年来の大水」とのニュースが市民の話題をさらって
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日伯論談=第6回=日本発=三山喬=危機をコミュニティーの転機に
2009年6月6日付け 年末年始、取材で何回か浜松を訪ねた。失業問題は想像以上に深刻であった。だが、この「デカセギ始まって以来の危機」の中、私はまた、ある種の希望も感じた。 日本語を学ぶ意識の広が
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次の百年戦略のために=~日系社会とは何か~=第1部《世界史の視点から》(8)=世界でも独自な日系文化=繰り返す異文化への適応
ニッケイ新聞 2009年6月5日付け 百周年では、いろいろな日系文化現象がブラジルどころか、世界で脚光を浴びた。英国BBC放送、中東のアルジャジーラ、仏ル・モンドまでがこぞって報道したことは記憶に新
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次の百年戦略のために=~日系社会とは何か~=第1部《世界史の視点から》(7)=ブラジル日系社会の存在意義=全世界の6割という重責
ニッケイ新聞 2009年6月4日付け 世界史的に稀な状況を経て生まれたブラジル日系社会は、世界においてどんな存在なのか。世界の全日系人口におけるブラジル日系社会の割合から、その存在意味を推し量ってみ
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次の百年戦略のために=~日系社会とは何か~=第1部《世界史の視点から》(6)=踏みとどまった日本移民=世界史的に稀な高定着率
ニッケイ新聞 2009年6月3日付け 渡米した外国移民の場合、大半の民族が三五~五〇%の割合で祖国に戻った。 「一九世紀末から二〇世紀初頭に渡米した移民のうちで、最終的に母国に帰った者の割合は、ポ
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次の百年戦略のために=日系社会とは何か=第1部《世界史の視点から》(5)=未知の文明に挑んだ先人=欧州移民との根本的差異
ニッケイ新聞 2009年6月2日付け 「黄金の扉の傍らに、私は灯火を掲げましょう」。米国入移民の全盛期である一八八五年にニューヨーク港の入り口に建てられた自由の女神像の台座には、新天地に向かって渡っ
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日伯論談=第5回=ブラジル発=二宮正人=日伯両国における文化交流の担い手としてのデカセギ者
2009年5月30日付け 昨年は移民百周年が両国において盛大に祝われたが、それぞれの国の現実のイメージが相手国に伝わり始めたのは、そう古いことではない。 在日ブラジル人によって、認識が変わったこと