連載
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『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(20)
進出企業と競合、生き残る 順風満帆の、そのさ中、またもブラタク製糸の存亡に関わる大異変が発生した。1972~76年、日本の生糸メーカー6社が進出してきたのだ。カネボー、グンサン、昭栄、コーベス、東邦
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『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(19)
技術、技術、技術… 1952年、蚕糸業界は往年の活況を取り戻していた。 同年、ブラタク製糸の役員が改選され、社長=加藤好之、役員=井久保治、天野賢治、谷口章となった。従業員は344人、生糸は年産4
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『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(18)
蚕糸の鬼 話を終戦直後に戻す。 バストスでは蚕糸業者が次々、廃業していた。そういう時、その蚕糸業に執着していた男がいた。 橋本光義という山梨県人である。資料類は彼を「短躯ながらも剽悍、直情径行、
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『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(17)
事件相次ぐ 溝部事件の翌4月の30日、バストスの敗戦派7人の店や住宅に小さな箱が届けられた。見かけぬ非日系の子供が持ってきたという。 届け先は池田正雄の店、草原義松、大場八郎、山中権吉、阿部一郎、
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『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(16)
溝部事件――今なお真相は不明――。 そして3月7日夜、殺気は現実のモノとなった。溝部幾太が自宅の裏庭で射殺されたのである。 それから69年後の2015年、筆者は溝部の娘さん二人に会った。娘さん…
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『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(15)
町に殺気が… 同時期、各地の邦人社会に流言飛語がとびかっていた。その中に「日本海軍の艦隊が近くサントスに入港する。邦人を祖国に迎える使節を乗せている」という報があった。無論、デマであったが、それを信
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『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(14)
騒乱 終戦と同時にバストスが半ば壊滅してしまった…その時期、この国の邦人社会は、別の理由で騒乱状態に陥っていた。 その騒乱は、実は戦時中から始まっていた。サンパウロ州のノロエステ線、パリスタ延長線
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『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(13)
ここで少し補筆しておくが、1941年末の日本の開戦後、連合国側についたブラジル政府は翌年1月、日本との国交を断絶した。同時に在伯日本人を敵性国人と指定した。さらに、敵性国資産の凍結令を発した。これは
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『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(12)
ブラタク製糸の実務を担うことになった前記二人の内、天野賢治は1905(明38)年、横浜市に生まれた。地元の商業学校を出た後、近衛聯隊勤務(少尉)を経、横浜の糸商に就職、ニューヨーク支店に派遣された。
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『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(11)
難航に次ぐ難航 前項で記したパニックのさ中、ブラ拓事務所が直営農場で栽培・飼育したモノの中には、蚕もあった。 養蚕は、入植者の中の農業者の多くが、日本で経験していた。それと、サンパウロ州政府も蚕糸