連載
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県連ふるさと巡り=リベイラ沿岸とサンタカタリーナの旅=第8回=ラーモス移住地=農業特産物を常に模索=苦難乗り越えて文化継承
ニッケイ新聞 2008年5月21日付け 四月二十二日、朝一番にラーモス移住地で長崎平和の鐘公園を訪ねた一行は、午前十一時に日本人墓地を参拝した。同地最古参の一人、本田文男さん(70、茨城県出身)が般
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「僕たちも移民です」――保見が丘のパウロ・フレイレ地域学校で――=百周年を記念して文集発行(下)=「これから先はどこへ?」=デカセギ子弟の複雑な心情
ニッケイ新聞 2008年5月17日付け 【愛知県豊田市発】百周年を記念してパウロ・フレイレ地域学校(エコパフ、ジョゼリア・ロンガット・フィジオ校長)で出された文集には、まだ帰国するかどうか定まってい
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県連ふるさと巡り=リベイラ沿岸とサンタカタリーナの旅=第7回=ラーモス移住地=心に響く長崎平和の鐘=小川さんの被爆開拓談聞く
ニッケイ新聞 2008年5月17日付け 四日目の四月二十二日朝、フライブルゴのホテルを出発し、約七十キロ離れたフレイ・ロジェリオ郡のラーモス移住地へ向かった。クリチバーノス市との州道は昨年舗装された
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「僕たちも移民です」――保見が丘のパウロ・フレイレ地域学校で――=百周年を記念して文集発行(上)=デカセギ子弟の揺れる想い=「移民」「笠戸丸」は確実に浸透
ニッケイ新聞 2008年5月16日付け 【愛知県豊田市発】「そして八十年代にまた移民たちが日本へもどり、新しい移民になった」「おねがいです。絶対にあなたの子供や家族と離れないでください」「わたしは今
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県連ふるさと巡り=リベイラ沿岸とサンタカタリーナの旅=第6回=タンガラー=独語読み書きする6世!?=兄妹でイタリア民謡歌う
ニッケイ新聞 2008年5月16日付け ふるさと巡り三日目の四月二十一日昼、一九四五年頃にイタリア移民が建てた水車小屋を九八年に改装して観光レストランにした「ランショ・モイーニョ・ヴェーリョ」に到着
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県連ふるさと巡り=リベイラ沿岸とサンタカタリーナの旅=第5回=「ブドウ谷」タンガラー=イタリア系が7割占める
ニッケイ新聞 2008年5月14日付け 三日目、四月二十一日午前八時半、イタリア移民が多く入ったタンガラーに向けて出発。普通の農業には適さない傾斜地に、ブドウ畑が作られている。わずか一時間で到着。
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県連ふるさと巡り=リベイラ沿岸とサンタカタリーナの旅=第4回=コチア青年貞光さん活躍=アントゥーリョ新種作る
ニッケイ新聞 2008年5月13日付け 四月二十日、ふるさと巡り二日目の午後三時半、イグアッペ会館を出発した一行は、アントゥーリョ栽培の第一人者、貞光邦夫さん(65、徳島県出身)の農場を視察した。
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県連ふるさと巡り=リベイラ沿岸とサンタカタリーナの旅=第3回=イグアッペ=「50年ぶりに故郷に来た」=日本移民は市発展に大貢献
ニッケイ新聞 2008年5月9日付け 「戦前、イグアッペ市は日本移民のおかげでブラジル最大の米作地、輸出地だった。今年は大統領府からベルソ・ダ・イミグラソン・ジャポネーザ(日本移民発祥の地)と認証さ
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県連ふるさと巡り=リベイラ沿岸とサンタカタリーナの旅=第2回=レジストロ=みんなで炭鉱節を踊る=「ふる里みたいな雰囲気」
ニッケイ新聞 2008年5月7日付け 「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」。しずかな夕暮れ時、百八人が列になって焼香し、石田広海開教師はおごそかに無量寿経の讃仏偈をとなえた。四月十九日午後五時、ふるさ
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県連ふるさと巡り=リベイラ沿岸とサンタカタリーナの旅=第1回
ニッケイ新聞 2008年5月6日付け 移民八十周年を記念して八八年にはじめられた県連ふるさと巡りは、好評のうちに年二回になり、移民百周年(二十周年)の今回は、第二十九回(長友契蔵団長=宮崎県人会長)