連載
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拓魂=県連・ふるさと巡り=汎ソロの移民史名所を訪ねて=連載《最終回》=ピラール・ド・スル=トマトやバタタで一世風靡=現在は果実で後継者は続々
2007年6月16日付け 五月十九日正午前、ピラール・ド・スル文化体育協会に到着。五十人ぐらいの地元の日系人に出迎えられた一行は、一分間の黙祷のあと、城島将男会長から歓迎の挨拶を受けた。 返礼に立
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拓魂=県連・ふるさと巡り=汎ソロの移民史名所を訪ねて=連載《7》=コロニア・ピニャール=立派な日本語図書館が誇り=「息子が農業継ぐ家ばかり」
2007年6月12日付け ソロカバのホテルに一泊したふるさと巡り一行は最終日の五月十九日午前八時過ぎ、六十キロ先の聖南西のコロニア・ピニャールへ向かった。 折からの豪雨にたたられ、コロニア・ピニャ
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拓魂=県連・ふるさと巡り=汎ソロの移民史名所を訪ねて=連載《6》=ソロカバ=名物「餃子汁」に舌鼓=恵まれた施設と人材誇る
2007年6月9日付け 五月十八日午後八時、ふるさと巡り一行のバスは、ソロカバ日伯文化体育連盟(UCENS)の会館に到着した。同地はサンパウロ市から南西に九十六キロで、パラナ州との交通の要衝だ。
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拓魂=県連・ふるさと巡り=汎ソロの移民史名所を訪ねて=連載《5》=オウリーニョス=話題のエタノール工場見学=5千人が働けど中規模
2007年6月6日付け 五月十八日、オウリーニョス日伯文化体育協会(AECO)での昼食交流会の後、同地の計らいで、最近話題のエタノール生産をするウジナ・サンルイス(USL)の工場を見学する。 講堂
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拓魂=県連・ふるさと巡り=汎ソロの移民史名所を訪ねて=連載《4》=オウリーニョス=「毎日会館集まって活動」=45年ぶりの同航者再会も
2007年6月5日付け 五月十八日午前八時、一行はプルデンテを出発し、二百キロ先のオウリーニョスへ向かった。サンパウロ市からなら三百七十キロだ。 バスに乗る直前、サンパウロ市近郊のバルジェン・グラ
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拓魂=県連・ふるさと巡り=汎ソロの移民史名所を訪ねて=連載《3》=プ・プルデンテ=奥ソロ初の中学校設置=独自の図書館や史料室も
2007年6月2日付け 五月十七日晩、ふるさと巡り一行は市内中心部にある会館でプレジデンテ・プルデンテ農村体育文化協会(ACAE)のみなさんから出迎えられた。 「よくいらっしゃいました」。堀尾康幸
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拓魂=県連・ふるさと巡り=汎ソロの移民史名所を訪ねて=連載《2》=アルバレス・マッシャード=「涙が止まらなかった」=当初は畑の隅に子供を埋葬
2007年5月31日付け かつて、ここは奥ソロ一の大植民地だった――。 サンパウロ市から西に五百九十キロ。戦前一九三〇年代の最盛期には一千家族近くを数えたと、同地五十周年史『拓魂』(一九六八年)に
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拓魂=県連・ふるさと巡り=汎ソロの移民史名所を訪ねて=連載《1》=アルバレス・マッシャード=埋葬者の3分の1が幼児=日本人墓地で開拓初期偲ぶ
2007年5月31日付け ブラジル日本都道府県人会(松尾治会長)主催の恒例「ふるさと巡り」(長友契蔵団長)も第二十七回を迎え、ベレンなど遠方からの参加者も含めた八十四人がバスに揺られながらソロカバナ
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〃世紀の旅行家〃=岡田芳太郎の謎=連載(下)=日記が伝える30年の彷徨=死の五日前、謎の〝絶筆〟=小松さん「家族に遺品渡したい」
2007年5月19日付け ▼ ▽ ▽ ブラジルに最初の日本移民船、笠戸丸が到着した一九〇八年、岡田はすでに南米各地を旅行している。 同年三月の日記によれば、―首府ASUNCIONに上陸し
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身近なアマゾン(44)――真の理解のために=移民100周年にあたり=朽ちた人、移住地忘れまじ
2007年5月18日付け □あとがき アマゾンを中心として、各地での経験を文章にしてみた。以下は、本稿を終わるにあたって、筆者がブラジル全域を回っていての感想だ。こうしてブラジル国内をあちこち旅し