連載
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勝ち負け巡るそれぞれの思い=二分したアサイ移住地=(5)=敗戦でも変らない祖国への想い
池田さんから、谷田才次郎氏が開校した日本語学校「公民学園」に通っていた土屋パウロさん(70、三世)を紹介してもらった。現在、パラナ州ロンドリーナ市に住んで公証翻訳人をしているという。電話で取材を申し
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勝ち負け巡るそれぞれの思い=二分したアサイ移住地=(4)=谷田氏、勝ち組系日語学校設立
兄の破談から10年後、結婚するはずだった相手の母親から謝罪を受けた。その一家は日本に行って敗戦を知った。アメリカに占領されている沖縄を見て、家長は泣き崩れたという。そのときすでに熊田さんの兄は別の女
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勝ち負け巡るそれぞれの思い=二分したアサイ移住地=(3)=「日本援助」作文で出入り禁止に
農産品評会の会場を後にし、清水八起(やおき)さん(88、二世)の自宅に向かった。清水さんはアサイで生まれ育ち、長年コーヒーや綿花などの栽培に従事してきた。80年代にはパラナ州農務局が面積あたりの綿花
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勝ち負け巡るそれぞれの思い=二分したアサイ移住地=(2)=終戦後、帰伯し勝ち組に驚く
アサイ市で取材した6月上旬、年に1度の「農産品評会」が開催されていた。日系農家が切磋琢磨することを目的に1935年に始まり、現在は太鼓の演奏や盆踊りが行われ、市民が日本文化を楽しむ機会になっている。
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勝ち負け巡るそれぞれの思い=二分したアサイ移住地=(1)=戦後25年「日本は勝った」
4大移住地のひとつに数えられ、戦後はコーヒーと綿花の栽培で栄えた北パラナのアサイ移住地。他の日系移住地と同様に終戦直後は、ほとんどの人が日本の戦勝を信じていたという。50年代なっても、戦勝を信じる「
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日本移民110周年=サントス日本語学校の完全返還=ようやく訪れた「本当の終戦」=(7)=多人種が共存する平和な未来を
沖縄県人会に協力要請する以前に、奥原さんは日系社会を代表する組織、ブラジル日本文化福祉協会にもお願いしたが、断られていた。すでに当事者の大半が亡くなっており、当時を知らない世代ばかりになった今、「今
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日本移民110周年=サントス日本語学校の完全返還=ようやく訪れた「本当の終戦」=(6)=動き出した歴史見直しの歯車
2000年代に入ってから、急に歴史見直しの歯車が回りだした感がある。もちろん、上さんが会長を辞めた後のサントス日本人会の幹部の働きは大きい。04年からの遠藤浩、土井紀文セルジオ、関谷忠機アルシーデス
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日本移民110周年=サントス日本語学校の完全返還=ようやく訪れた「本当の終戦」=(5)=皇太子殿下「ごくろうさまでした」
戦後「負け組」になったのは主に、戦前の同胞社会指導者や企業家らだ。彼らはその立場ゆえに、戦中にDOPSから資産凍結や理由の不明な長期勾留などの不当な扱い、人によっては拷問までを受け、独裁政権に対して
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日本移民110周年=サントス日本語学校の完全返還=ようやく訪れた「本当の終戦」=(4)=戦勝情報というフェイクニュース
当り前だが、戦争中はどんな精神状態の人でも祖国に帰るという選択肢はなかった。そして、ヒトは抑圧され、バカにされると「いつか見返したい」「誰かが仕返ししてくれるはず」という希望を抱く。それが「日本軍が
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日本移民110周年=サントス日本語学校の完全返還=ようやく訪れた「本当の終戦」=(3)=「南米における日本移民の出エジプト記」
1942年1月にブラジルが連合国側について以来、ドイツ潜水艦による米国向けブラジル商船などへの攻撃が始まった。ブラジル政府はその対抗処置として、枢軸国側移民の資産凍結を始め、4月からはDOPS(社会