連載
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JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から=連載(45)=名村優子=エステ日本人会(パラグアイ)=国境の町の学校
2006年6月8日(木) ここは、ブラジルとの国境の町、パラグアイ国エステ市。国際的な観光都市フォス・ド・イグアスから「友情の橋」を渡ると、そこは露店と看板が立ち並ぶ買い物天国、エステ市のセントロだ
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南バイアで活躍するコチア青年――サンパウロ市から仲間訪問団――連載(上)=50周年祭典で交歓かなわず=久しい待望実現、喜色満面
2006年6月8日(木) 「仲間たちが(サンパウロから)ようやく来てくれた。本当に嬉しい」と満身で喜びと安堵の気持ちを表したのはバイア州南部のテイシェイラ・デ・フレイタス(Teixeira de F
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緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=(9)=10周年迎えパターンできた=次の目標、ホスピス病棟
2006年6月6日(火) 「十年間でやってきたことを反省し、これからさらに前進していきたい」。 四月二十八日午前。クリニカス病院隣りのレボウサス会議場で、「NADI」の創立十周年記念式典が開かれた
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緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(8)=患者がケア求めて来たら=最初に家族会議開く
2006年6月3日(土) 二〇〇〇年ごろのこと。四十~五十代の女性が「NADI」の門を叩いた。 子宮がんを患い、出血もひどかった。この女性と家族は頑なに輸血を拒んだ。「エホバの証人」を信仰。宗教上
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緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(7)=今、ケア希望者あと絶たず=スタッフ志望医も増加
2006年6月2日(金) クリニカス病院の一室。壁一面に、サンパウロ市の地図が貼り付けられ、無数のピンが刺してある。「NADI」が在宅ケアをしている、患者宅の住所だ。 「毎日きつい、スケジュールに
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JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から=連載(44)=中江由美=ポルトベーリョ日系クラブ=みんなで楽しむ運動会
2006年6月1日(木) 五月五日の子どもの日を記念して、毎年恒例の運動会が日系クラブで行われた。晴天の中、朝から鯉のぼりを揚げ、生徒、保護者、その友人家族も集まり、にぎやかな運動会となった。 熱
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緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(6)=終末期医療、当初〃異端〃だった=軌道に乗るまで多くの試練
2006年5月31日(水) 「チームに入ってきた研修医たちに、ボイコットされた」──。 九六年四月末に発足した「NADI」。その滑り出しは、苦難の連続だった。終末期医療が院内で、きちんと〃認知〃さ
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緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(5)=当初、末期がんが多かった=ブラジル内のプログラム現在40
2006年5月30日(火) 「治療に反応しない疾患をもつ、患者に対する積極的で全人的なケアである」と、世界保健機関(WHO)は緩和ケアを定義している。 病気の治療を目的にするのではなく、生活の質(
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緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(4)=駐在員の子、10代波乱=進路迷った末医者の道決める
2006年5月26日(金) 「フェイラの匂いはきついし、ブラジルの人には失礼ですが、いったいどんなところに来てしまったのだろうと驚いた」。 千馬寿夫さんは七五年三月、日系商社に勤務していた父親に連
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南パラナもふるさと=県連6日間の旅=連載(6)最終回=カルロポリス=パラナとともに半世紀=次世代に託す長老の思い
2006年5月26日(金) 八日朝九時半、ロビーに集合する。遅い集合時間にホッとする反面、このあわただしい日程の旅行も今日が最終日かと思うと寂しく感じる。 午前中は、パラナ州立公園ヴィラ・ヴェーリ