連載
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♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(7)=流行歌で取り上げられる
2005年8月11日(木) ♪テン・ローパ・パ・ラバ?――。「あの頃、洗濯屋の歌まであったんですよ」。古参の伊藤春野は懐かしそうに歌ってみせる。 調べてみると「Xotis do Tintureir
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♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(6)=少年時代のルーラも勤務
2005年8月10日(水) 一九五八年、移民五十年祭で企画されたコロニア実体調査は、洗濯屋抜きには語れないものだった。 「日本移民史上空前絶後の大調査」(文協四十年史)といわれる規模のもので、延べ
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テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(5)=選挙を左右した組織力?
2005年8月9日(火) 一九四七年は大きな節目だった。 物価調整委員会(COAP)が洗濯代を、従来の一着二十二クルゼイロから十六に下げた状態で凍結した公定料金を決定したからだ。すでに五百軒あると
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♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(4)=関連業での成功者も続々
2005年8月6日(土) 集会や日本語の禁止を強いられ、敵性国人や「第五列」(スパイ)として扱われた厳しい戦時中。しかし、後の発展につながる萌芽もこの時代には生れていた。 今でこそサンパウロ市の化
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アレグレ郷土への旅=連載(下)=見張りをつけて日語勉強=「負け組」だった青年たち
2005年8月5日(金) 最盛期を迎えていたアレグレ植民地。戦争がその転機となった。日本人が集まることが禁じられ、学校は閉鎖された。「戦争中は雑誌も本も入らなかった。町にもなかなか行けませんでしたよ
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♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(3)=臣道聯盟トップも生業に
2005年8月5日(金) 「臣道聯盟の吉川さん、うちにおったのよ。一メートル七十五センチぐらいある大きな男だった。とってもいい男だったよね」。洗濯屋の草分け、山本栄一は懐かしそうに思い出す。 帝国
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♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(2)=嚆矢は笠戸丸移民か
2005年8月4日(木) 一九八二年十月、伊藤春野(86)はサンパウロ市の総領事公邸から電話を受け、いつも通りに洗濯物を取りに行った。帰ってから開いてみると、「この服はちょっと違うぞ」と気付いた。
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JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から=連載(6)=清水祐子=パラナ老人福祉和順会=私の家族―39人の宝もの
2005年8月4日(木) 私の家、和順ホームはパラナ州の緑豊かで落ち着いた町、マリンガ市にある。現在三十九名(男性二十名、女性十九名)の方が共同生活をしている。 入居者の半分はブラジル生まれ、つま
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アレグレ「郷土」への旅=連載(上)=「80年前」がよみがえる=準二世、二世にとっても〃古戦場〃
2005年8月4日(木) 入植八十年を迎えたアレグレ植民地。戦前に開かれ、最盛期には三百家族を数えたこの植民地には、いまも二十数家族の日系人が暮らす。五年に一度の記念式典にあたり、同地の出身者がサン
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♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(1)=「魂の垢まで落とす」
2005年8月3日(水) 「彼らは魂の垢まで落としてくれる――」。毎年行われた先亡者ミサで、武内重雄神父はそう称えるのが常だった。洗濯屋はあまりに身近な存在だったがゆえに、移住史の中の重要な側面を担