連載
-
教科書 時代を映して変遷(8)=科書時代を映して変遷=『日本語』8巻61年完成=翻訳して当局の検定受ける
4月24日(土) ブラジルの地理や歴史、コロニアの生活など身近な題材を取り入れた日系子女向けの日本語教材をつくらなければならない――。 アンドウ・ゼンパチの啓蒙運動が起爆剤になって、旧日伯文化普及
-
教科書 時代を映して変遷(7)=〝コロニア教科書〟作製しても=外国語教育令が足かせ
4月23日(金) 「二世は文化的には、ニッポン人でもなく、ブラジル人でもなく、合いの子すなわち、メスチッソにほかならない」(原文のまま) アンドウは二世の人間像をそう、捉えた。 日本人の子供であ
-
教科書 時代を映して変遷(6)=いち早く日語教育理念=アンドウさん=〝コロニア向け〟の必要説く
4月21日(水) 戦後間もなく、日本語教育は各地で再開された。と言っても、コロニア内ではっきりした教育理念は定まっておらず、混沌とした状態が続いた。 「ブラジルにおけるニッポンゴ教育は、当然、外国
-
教科書 時代を映して変遷(5)=人間教育を重要視=『松柏』の川村さん=「戦前の教科書に夢があった」
4月20日(火) 「戦争のない世界をつくるために、教師になって平和の尊さを子供たちに教えたい」 そんな夢を抱いて、帰伯二世の女性が五二年七月、サントス港に降り立った。十一年ぶりにみるブラジル。川村
-
教科書 時代を映して変遷(4)=戦後に一、二世の〝亀裂〟=それでも日語教育は消えなかった
4月17日(土) ほっといてくれ――。 一九四七年の暮れのこと。コチア産業組合指導部主催の懇談会「二世は一世に何を求めるか」が開かれ、二世は日本的な価値体系を拒んだ。旧パウリスタ新聞の報道によると
-
教科書 時代を映して変遷(3)=ヴァルガス政権発足で=日語教育は〝地下活動〟
4月16日(金) ジェツリオ・ヴァルガス独裁政権が三七年に発足すると、国家主義的な色彩の濃い政策を打ち出していった。「エスタード・ノーボ(新国家体制)」だ。 十四歳未満の子供に対する外国語教授が三
-
教科書 時代を映して変遷(2)=国粋主義的思想〝植え付け〟=満州事変後の日語教育
4月15日(木) パラグアイ戦争(一八六四~七〇)でのこと。オゾーリオ将軍の配下にジェズースという黒人兵がいた。将軍の命令を受け、ラッパを吹きかけた。ちょうどそのとき、敵の弾が腕を貫きラッパは口を離
-
教科書 時代を映して変遷(1)=教育勅語しっかり記憶=イタペセリカ 今も「奉安殿」保守
4月14日(水) 日本語教育は日系社会の看板の一つ。新しい学習者層が生まれると、その需要を満たす形で教材が研究開発されてきた。教科書の発刊は時代の転換点─と表現しても大げさではないだろう。移民百周年
-
日本以外の外国に住むブラジル人の生活=インターナショナル・プレス紙から=(6)=渡米者の層が変わった=NYに30万人が集中
4月13日(火) アメリカ合衆国ニューヨーク市は、祖国を離れて海外に暮らすブラジル人の多くが集中する。約三十万人が夢、人生の好機、仕事を求めて、この街にやって来た。三年間、アメリカへ移住したブラジル
-
日本以外の外国に住むブラジル人の生活=インターナショナル・プレス紙から=(5)=人の流出、政治面からも=南北両半球、格差大きく
4月9日(金) ◆移住の政治的理由◆ 満場のマラカナン・スタジアム――。この人数は毎年、ブラジルを後にする労働者の数と一致する。ここ五年間で海外移住者数は三三%増加、現在、二百万人以上のブラジル人