連載
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〝正しい農業〟=横森正樹さんの熱い思い=1=野菜づくりでバラ色の人生=儲かって将来性がある
11月26日(水) 二十日午後に文協小講堂で開催された横森正樹さんの講演内容をもとに、著書『夢の百姓「正しい野菜づくり」で大儲けした男』(白日社、二〇〇二年)を参考にしながら、「農業は儲かる! そし
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―最終回=トートーメー 先祖を祀る聖域=沖縄独特の様式美継承
11月22日(土) 一九五六年、中学二年でブラジルに移住した具志堅克珍さん(六一、沖縄県出身)は、サント・アンドレー市パルケ・ジャサトゥーバ区バトゥリテー街で注文家具屋を営んでいる。克珍さんが三歳の
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(9)=ギター=特別な音感を持つ名器=有名音楽家に磨かれて
11月21日(金) 「音の職人は板前のよう。どういう道筋で組み立てるかで、中華風、和風と味が変わる」。サンパウロ市ジャルジン・オリエンタル区ジュリパリ街の工房で語る杉山重光さん(六三、静岡県出身)の
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(8)=日本庭園=10年後の姿を念頭に=侘び寂びの微妙な釣合い
11月20日(木) 造園業に携わって三十年、スザノ市在住の石橋弘善さん(五七、二世)は、サンパウロ州内はもとより、遠くはポルト・アレグレ市まで、庭園造りに飛び回る。ピラシカーバ農大を卒業、一九七四年
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(7)=空手6段、人形は師範=大柄な体で繊細な作業
11月19日(水) サンパウロ市サウーデ区マウロ街の塩田健康センター所長、塩田憲一さん(五六、神奈川県出身)。一九七四年、二十七歳の時に渡伯した理由の一つが、「日本人形を普及するため」だった。七五年
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(6)=演奏者から製作者へ=三味線の文化を守る
11月18日(火) 三重城(みえぐすく)にのぼて 手巾(てぃさじ)もちやげれば はやふねの習ひや ちゅめどみゆる――。ヴィラ・カロン区ぺドロ・マラキーアス街で奏でられた琉球古典音楽、「花風(はなふー
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(5)=「手に職付ければ、お天道様とおまんまは向こうからやってくる」=七十の手習いで表具師
11月13日(木) 「表装の仕事をしているのは、ブラジルで俺一人しかいねぇんじゃないか」といなせに語るのは佐々木克さん(八二)。表装の仕事を始めたのは一九九二年からだ。七十歳からの手習いとは恐れ入る
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(4)=日本刀=製造全工程を一人で=銘を持たない〃刀匠〃
11月12日(水) 「私の日本刀に銘はない。独学で製法を学んだ私は、銘をつけることが出来ない」。四十年間、刀製造に従事し十一月で八十歳を迎える石田富三さん(七九)だが、姿勢は謙虚そのものだ。師を持た
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(3)=〃開かずの金庫〃に挑戦=サッカー場で満場の拍手
11月11日(火) 茂木安太郎さん(七一)は、「Medico dos cofres(金庫の医者)」の肩書きを自らにつける金庫技師だ。特殊なドライバーを用いて金庫の微かな音を聞き、右手の親指と人差し指
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〔角田歳丸〕=地域社会に尽した日系市議の草分け=下=農村労働者の子女のために=土地提供、小学校を建設
その昔、ここに学校はなく親は、子供たちの教育に頭を悩ましていた ある日、学校が建設された 日本人の家族が移り住んできたのだ グァピアーラ市中心部からアピアイ方面に向かって車で約十五分のエンポ