連載
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(2)=彫金=金属を玩具に育った=半世紀の技光る三橋さん
11月8日(土) おたふく(かなずち)とかた切りのたがねを持ち、三×二センチの真鋳板を削り、会話しながらの二十五分間。表にフクロウ、裏に名前入りのキーホルダーが出来あがった。十五歳から四十九年、ほぼ
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〔角田歳丸〕=地域社会に尽した日系市議の草分け=49年グァピアーラ市議=夏蒔きトマテを特産物に
カッポンボニート市(SP)から曲がりくねった山道を車で四、五十分。グァピアーラ市は山間にある人口約二万人の町だ。かつて日本人移住者はこの地で、夏蒔トマトの一大生産地を築き、サンパウロ市場の七割を供給
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(1)=和太鼓=原子力発電所技師から転身=天然素材をハイテク加工
11月7日(金) 自分の手の技術によって、物を制作することを職業とする人――。広辞苑では、『職人』をこのように定義している。しかし、合理化、近代化で生産過程のほとんどが工業化されてしまった現代社会。そ
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南米発 放浪の料理人 日本食を探る=(6・終)=ボリビア=サンタクルス=2ドル前後のラーメン=「〝ボリビア料理〟に加えたい」
11月6日(木) サンフアン移住地、オキナワ移住地から最も近く重要な町、サンタクルス。日系人でここに移って商売を始める人も多い。今回は、二件の日本食料理店と、オキナワ移住地農協の直営店スーパー・オキ
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南米発 放浪の料理人 日本食を探る=(5)=ボリビア=オキナワ移住地=ソーキソバ、那覇と同じ=川魚で棒状のカマボコ
11月5日(水) ボリビアのオキナワ移住地を訪れた。ボリビア人ですら、オキナワというと通じるくらい有名である。移住地は、ボリビア、サンタクルス市から北西に一時間弱の場所に第一、第二、第三と三つある。
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南米発 放浪の料理人 日本食を探る=(4)=ボリビア=サンファン移住地=純日本式にこだわる=パンづくり、私費訪日修業
11月4日(火) ボリビア・サンタクルス市から百三十八キロ西に向かった所にサンフアン移住地がある。首都ラパスに比べ、こちらは低地で蒸し暑く、ブラジルに来たような錯覚を覚えた。 農協や日本ボリビア協
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南米発 放浪の料理人 日本食を探る=(3)=コロンビア パルミラ=醤油づくりを50年=四世の女性しっかり継承
11月1日(土) 麻薬、ゲリラ、誘拐など悪い噂がつきまとう国コロンビア。しかし、コロンビア人は底抜けに明るく親切である。また、日本にも非常に強い関心を抱いている。ここでも日系の人々が生活している街が
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南米発 放浪の料理人 日本食を探る=(2)=ペルー=インカ帝国の古都=中央広場のペルー料理店=日本人、繊細に経営
10月31日(金) クスコほど古都と呼ぶにふさわしい街は南米でも少ないのではないか。まさに西暦一五三三年、スペインにより滅ぼされるまでインカ帝国の首都だったのだから。 クスコはケチュア語(インカ系
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南米発 放浪の料理人 日本食を探る=(1)パラグアイ・イグアスー移住地=梅のないところのチエ=国境を越えて「花梅」
10月30日(木) 自称〃放浪の料理人コータ〃(羽熊広太さん)は、各国の食の文化を調べながら、二〇〇二年九月より一年間、中南米十八カ国を回った。その時、各地で滞在した日系移住地で、日本の伝統的な加工
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移民のふるさと巡り=3千キロの旅移=終=懐かしのノロエステ=リンスはいま出湯の里
10月16日(木) 十月一日午前二時にホテルに入った一行は、最後の二日間をリンスの温泉地で過ごすことになった。 リンスはサンパウロから四百四十五キロ。日本人が考える温泉とは異なっているが、これがブ