連載
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県連故郷巡り=ブラジル/ポルトガル/日本=不思議な〃三角関係〃=第11回=世界の果てが新世界への出発点
怖いぐらいの強烈な風が吹き付け、身体を持っていかれそうだ。9月19日夕方、一行はユーラシア州大陸最西端のロカ岬へ向かった。リスボン市内より寒い感じだ。切り立った断崖絶壁の向こうには大西洋しか見えない
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県連故郷巡り=ブラジル/ポルトガル/日本=不思議な〃三角関係〃=第10回=混血と汚職、書類手続きの共通点
3カ国を体で知る日系三世の河内さんの見方は、実に興味深い。 「たとえばスペインは外国人に排他的だから、植民地でも混血しなかった。だがポルトガルは人種差別が少ないので、ブラジルはその思想を受け継いで
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県連故郷巡り=ブラジル/ポルトガル/日本=不思議な〃三角関係〃=第9回=ここにも長期独裁政権
9月19日昼にレストランで、グループ2の現地ガイド、ポルトガル在住28年の日系ブラジル人三世、河内仁志さん(かわうち・ひとし、70)に話を聞いた。 生まれはサンパウロ州ポンペイア、日本語が実に達者
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県連故郷巡り=ブラジル/ポルトガル/日本=不思議な〃三角関係〃=第8回=少年使節が着物を披露した王宮
3日目の9月19日午後、一行は王族や貴族が夏の3カ月間を過ごした有名な避暑地「シントラ」を訪ねた。海抜が海と一緒で蒸し暑いリスボンのすぐ近くに位置するが、標高が530メートルあるために
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県連故郷巡り=ブラジル/ポルトガル/日本=不思議な〃三角関係〃=第7回=ヴァスコ、旅立ちの地
ポルトガル3日目、9月19日の午前、大航海時代に世界へ船出した出発点、テージョ川沿いにあるリスボン市内のベレン地区へ向かった。 インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマは1497年にここを旅立ち、ブ
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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=(81)=山城 勇
15歳の山戸少年は笠戸丸移民の構成家族の一員として単身ブラジルに乗り込んできた。 山戸はブラジルで5年間働き、沢山のお金を儲けて沖縄に帰国する計画でした。 1908年4月28日、祖
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県連故郷巡り=ブラジル/ポルトガル/日本=不思議な〃三角関係〃=第6回=葡国系ブラジル人が3国交流推進
日ポ交流イベント「O Japao e o Mundo Ocidntal」(西洋世界と日本)の主催団体「文化国際センター(CIC)」の代表、ネルソン・ファリア・デ・オリベイラさん(59)は、リスボン在
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県連故郷巡り=ブラジル/ポルトガル/日本=不思議な〃三角関係〃=第5回=「ブラジルのふるさと」へ
ポルトガルは欧州大陸とアフリカ大陸の境に位置する。イベリア半島南端とモロッコの北端のジブラルタル海峡の幅は、一番狭いところでわずか14キロしかない。 もともとはローマ帝国の辺境の地だったが、アフリ
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県連故郷巡り=ブラジル/ポルトガル/日本=不思議な〃三角関係〃=第4回=アラブ世界との歴史的な接点
よく探してみたら、ポルトガル国内に日本人奴隷がいたことを示す記述を見つけた。 ポルトガル人宣教師は、同胞商人による日本人奴隷売買をひどく嫌がって本国に取締りを要請し、1570年9月2
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県連故郷巡り=ブラジル/ポルトガル/日本=不思議な〃三角関係〃=第3回=日本人奴隷も陸揚げされた港か
主要河川のテージョ川が国の中央を東西に横切って流れている。大西洋から5キロさかのぼったあたりがリスボンのセントロ地区で、大航海時代の港だった。今は「コメルシオ広場(プラッサ・コメルシオ)」と呼ばれる