連載
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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(4)=日本人が築いたコーヒー地帯=C・ド・パラナイーバ 霜害避け未知の地へ
4月15日(火) 移民とカフェ。コーヒー園のコロノとしてブラジルに渡ってきた初期移民の時代から、日系人にとってコーヒーは特別な意味を持ちつづけている。今では国内有数のコーヒー生産地帯となったセラード
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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(3)=ぶどうから新しい果樹へ=ピラポーラ 大河利用の農業
4月12日(土) パラカツから西へ三百キロ。一行はサンフランシスコ川流域の町、ピラポーラ市に到着した。川を臨むレストランで地元のスルビ料理を楽しむ。翌朝、市内から十二キロ離れた「ピラポーラ潅漑プロジ
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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(2)=パラカツ、地盤築く=入植後26年 最盛期の半数60家族
4月11日(金) ブラジリア訪問の翌朝、一行は次の目的地、ミナス州パラカツ市へ向かった。ブラジリアから約二百三十キロ。途中で休憩のため、クリスタリーナに立ち寄る。その名の通りかつては水晶の採掘で栄え
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ペルー 南米初の日本人入植地=あぁカニエテ耕地(下)=誇りとルーツを見直す場=ペルー日系人の心の故郷
4月11日(金) 【リマ発】今年三月九日にカニエテの慈恩寺で彼岸法要が営まれた。読経が響く中、昼食が用意されている中庭である一世婦人に出会った。 「お経聞いたら、お腹が空いた」。 直江春子さん、九十
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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(1)=美質を次世代に残したい=首都の長老の願い
4月10日(木) 県連主催「第十七回移民のふるさと巡り」が一日から七日まで実施された。今回の訪問地は、ブラジリアとミナス・ジェライス州南部のセラード地帯。かつて不毛の地と呼ばれたこの地域は、一九七〇
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ペルー 南米初の日本人入植地=あぁカニエテ耕地=中=一年で半数以上が病死=「棺桶が間にあわない」
4月10日(木) 【リマ発】セルバ(熱帯性低地)とシエラ(高地)、そしてコスタ(海岸)。この三つの対照的な自然環境がごく近距離に密接していることがペルーの国土の主な特徴といえる。 その十二パーセント
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ペルー 南米初の日本人入植地=あぁカニエテ耕地(上)=ある2世の不思議な体験=「地獄(カニエテ)で」死んだ仲間の供養を」
4月9日(水) 【リマ発】ペルー移民の歴史は、七九〇人の日本人移民を乗せた第一期移民船『佐倉丸』がリマの北方にあるカジャオ港に到着した一八九九年四月三日に始まっている。南米初となったこの移民船に乗り
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ペルー=ワラルを訪ねて=下=地域に根づく診療所=現地の医師育成が課題
3月25日(火) ワラルにあるさくら診療所は二〇〇二年四月二十八日に開所して以来、良心的な診療費とリハビリ施設も充実したサーヴィスで地元住民の評価も高い。 同市には四つの病院があるが、さくら診療所
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ワラルを訪ねて=中=日本文化センター設立へ=ボランティアの派遣を期待
3月22日(土) 人口十二万のワラル市の中心地にある十五ヘクタール以上の広々とした土地には日系人協会の会館が建っている。 日系人協会の各機関であるインカ学園とさくら診療所もその敷地内にあり、プール
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ワラルを訪ねて=上=日本人専門家願う声=3人のテロ犠牲者の慰霊碑も
3月21日(金) ペルーの国土は海岸(コスタ)、高地(シエラ)、熱帯低地(セルバ)という三つの地帯に分けられる。 首都リマはコスタ地帯に位置しており、緑一つ見ることのない果てしない砂漠が北ペルー